01 鎌倉街道踏切 |
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寄居町のJR八高線用土駅近く、県道175号線と交差する踏切にある。命名がいい。
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02-06 金鑚神社
神話の時代、日本武尊が東国遠征の時、背後の山全体をご神体として天照皇太神と素戔嗚尊を祭った。古代、武蔵国一ノ宮は大宮氷川神社で、この金鑚神社が二ノ宮であるとされていた。児玉郡神川町二ノ宮750。 |
02 金鑚神社「多宝塔」 |
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室町時代の終わり頃、織田信長誕生の年とされる天文3年(1534)武蔵七党の安保全隆(あぼぜんりゅう)が寄進した。安保氏は源平合戦の頃から文献に名が出て来る。(国指定重要文化財)
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03 金鑚神社鳥居 |
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04 金鑚神社拝殿 |
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05 金鑚神社「源義家旗懸け銀杏」 |
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康平5年(1062)奥州での「前九年の役」の帰りに参拝し、この銀杏の木に旗をかけたと伝わる。2代目の木で樹齢550年とある。
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06 金鑚神社「御嶽の鏡岩」 |
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約1億年前、八王子構造線が出来た時の断層で、摩擦で表面が鏡のようになめらかなことからこの名がある。(国指定特別天然記念物)
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07-21 御嶽城
武蔵国と上野国の境目の要衝で、標高343mの御嶽山尾根通りに縄張りした典型的な中世の山城。安保氏による築城と伝える。天文21年(1552)小田原の北条氏康の攻略でその麾下に入るが、永禄12年(1569)には甲斐の武田信玄が侵攻して一時落城。のち再び北条氏の支配となって長井氏が城主となったとされる。江戸期は修験道の法楽寺があった。 |
07 御嶽城入口(虎口)付近 |
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鏡岩から先に行くとこのあたりから城跡らしくなる。
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08 石仏 |
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城が廃城となってから江戸末期まで法楽寺の回峰行の場だったが、明治の神仏分離令で廃寺となった。石仏は御嶽山東の観音山に移されるが、大正初期に現在の場所にもどされたという。郭跡の平場に点在している。
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09 石仏 |
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10 石仏 |
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11 石仏 |
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12 石仏 |
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13 石仏 |
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14 石仏 |
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15 石仏 |
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16 石仏 |
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17 石仏 |
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18 石仏 |
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19 石仏 |
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20 護摩壇跡 |
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小高い岩山は修験道の護摩壇跡。ここからの眺望は素晴らしい。もとは城の物見台か。
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21 秩父方面遠景 |
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22-33 各地の石仏
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22 滑川町 |
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23 吉見町 |
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24 本庄市(旧児玉町) |
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25 熊谷市今井「光照寺」 |
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26 熊谷市三尻観音山「龍泉寺」 |
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27 ときがわ町「慈光寺」 |
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28 ときがわ町日尺 |
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29 小川町古寺 |
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30 小川町下里 |
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31 美里町川輪 |
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32 深谷市折之口交差点 |
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33 秩父市寺尾 |
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