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2013年3月27日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 武蔵国カメラ風土記11 比企の戦国
 Sengoku era in Hiki, Musashi Province   First appearance on the Web: July 24, 2012


比企郡一帯には戦国期の史跡も多い。この時代は上杉管領家が力をなくし、関東を小田原の後北条氏がほぼその支配下に置く。が、常陸の佐竹氏や甲州の武田氏、山内上杉家を継いだ越後の上杉謙信によってたびたびの侵略を受け、弱小の武士団のなかにはこれになびく者も出て、ついには秀吉の小田原攻めで北条氏は滅びる。のち坂東武者の末裔達は徳川幕藩体制に組み込まれて行くが、多くは帰農に追込まれた。ちなみに北条氏は傍系が河内狭山藩1万1千石(のち1万石)の小藩ではあるが、幕末まで存続する。

寄居の「鉢形城」は北関東での北条氏の最重要拠点で、江戸期に入って放棄されるが、その遺構は小田原本城の巨大な縄張りを彷彿とさせる。行田の「忍城」は江戸期、10万石の徳川親藩または譜代として幕末まで残った。

使用カメラはニコンD300s, D700, D7000。レンズはDX10-24mm, 16-85mm, 18-200mm。FX16-35mm, 24-85mm, 24-120mm, 28-300mm, 300mm。

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01 国済寺 室町初期、関東管領山内上杉家の上杉憲英が作った庁鼻和(こばなわ)城内にある菩提寺。深谷市国済寺521。

02 山内上杉家墓地 国済寺境内。県指定旧跡。

03 庁鼻和城土塁跡 国済寺境内裏手に残る。市指定史跡。

04 深谷城「外濠跡」 室町期後半に上杉憲英の曾孫、房憲が城を築いて深谷上杉家を名乗る。のち小田原の北条氏に従うが、秀吉の関東攻略で落城。江戸期になって廃城となった。深谷市本住町。市指定史跡。

05 平山家住宅 鎌倉御家人で戦国の頃は深谷上杉家に仕え、のち帰農した。熊谷市樋春1067。国指定重要文化財。

06 慈光寺 平安の頃からの大寺院で、僧兵を養うが、戦国期に太田道灌や北条氏らによって焼討ちに会った。国宝「慈光寺経」で有名。ときがわ町西平386。

07 雉岡城「堀跡」 別名八幡山城。戦国初期に山内上杉家が築き、のち北条氏の鉢形城支城。秀吉の関東攻略で落城して関ヶ原合戦後に廃城。城内に塙保己一記念館がある。本庄市児玉町八幡山。県指定史跡。

08 菅谷館「武者行列」 11月の嵐山時代祭りで戦国時代の鉄砲隊武者行列がある。嵐山町菅谷。

09 杉山城 戦国期城郭の最高傑作のひとつという中世の平山城跡。城主名など詳しいことは不明。嵐山町杉山雁城654。国指定史跡。

10 鉢形城「復元四脚門付近」 城は室町期後半に山内上杉家臣、長尾景春が築城した荒川と深沢川に囲まれた天然の要害で、のち北条氏邦が拡充して北関東支配の拠点とした壮大な遺構が残る。秀吉の関東攻略で落城し、江戸初期に廃城になった。寄居町大字鉢形2692。国指定史跡。

11 左岸が鉢形城 荒川の正喜橋付近。

12 断崖絶壁が連なる鉢形城

13 大手門虎口

14 柵を縦横に設置

15 階段状の石垣 垂直の石垣が普及するのはこの後の時代になる。

16 深沢川

17 正龍寺「北条氏邦夫妻墓」 正龍寺は武蔵七党の猪俣党藤田氏菩提寺。時の当主藤田康邦は山内上杉家に臣従していたが、北条氏の支配が強まると北条氏康の四男、氏邦を養子に迎えて藤田一族の生き残りを図る。が、秀吉の関東攻略で鉢形城は落城、氏邦は加賀の前田家に預けられて没する。一族の藤田信吉は北条、武田、滝川、越後上杉氏と渡り歩き、最後は徳川に従うが大阪の陣のあと改易されてしまった。寄居町大字藤田102。県指定史跡。

18 正龍寺「本堂屋根の紋」 左が藤田氏の「上り藤」右が北条氏の「三つ鱗」の紋。

19 藤田善導寺 この寺も藤田氏菩提寺で正龍寺のすぐ近くにある。寄居町末野1686。

20 花園城 藤田善導寺の裏手、高根山にある藤田一族の山城で山塞(さんさい)というに近い。戦国期は鉢形城の支城。寄居町指定史跡。

21 諏訪神社鳥居 花園城登り口にあって、鉢形城大手門前にも諏訪神社がある。

22 諏訪神社拝殿「格子天井絵」

23 松山城 北条氏の支城で越後上杉氏とたびたびの攻防があった。秀吉軍によって鉢形城と共に落城し江戸期に廃城。吉見町南吉見。国指定史跡。

24 小倉城 北条家臣遠山氏の居城。秀吉軍によって松山城と共に落城し江戸期に廃城。ときがわ町田黒地区。国指定史跡。

25 山吹の里 扇谷上杉家臣、太田道灌の山吹の里伝説がある。越生町西和田。県指定旧跡。

26 龍穏寺 足利時代の永亨の頃の創建で文明4年 (1472)に太田道真、道灌父子が再興した。越生町龍ヶ谷452。

27 龍穏寺
   「太田道真、道灌父子の墓」
応仁の乱の頃、道灌は神奈川伊勢原で主筋の扇谷上杉定正に謀殺されるが、ここに分骨されたという。

28 龍穏寺「経蔵」 江戸の天保12年(1841)の建立。彫刻に特徴がある。県指定有形文化財。

29 龍穏寺経蔵
   「道元禅師一代記彫刻」


30 行田「忍城」 「忍の浮城」といい、戦国初期、藤原氏を祖とする成田氏が天然の沼地のなかに築城した難攻不落の名城。戦国末期に北条氏に臣従、天正18年(1590)秀吉軍の石田三成の軍勢2万余に囲まれて水攻めを受けるが、わずか2,000足らずの兵でこれを撃退。が、小田原落城で開城した。近年、小説「のぼうの城」の大ヒットで脚光を浴び、この秋には映画の上映も予定されている。行田市本丸17。県指定旧跡。

31 本丸土塁跡

32 再建された塀の狭間 ここから矢や鉄砲を撃った。

33 石田堤 忍城の水攻めで石田三成が28キロに渡って築いた堤防跡。行田市堤根地区。県指定史跡。

34 水城公園 かつて城はこのような沼に囲まれていた。

35 石田堤 さきたま古墳公園に残る堤跡。

36 丸墓山古墳 忍城攻めで石田三成が本陣を置いた。行田市さきたま古墳公園内。国指定史跡。

37 丸墓山古墳から忍城を望む カメラD7000、レンズ300mm f/2.8+TC-20Eを使用。

38 加賀爪氏累代墓 東松山の「高済寺」にある。戦国時代、松山城の戦いで北条氏が陣を置いた場所という。もとは今川家臣で、のち徳川家に仕える。小田原攻めに功あって一時この地を領した。東松山市高坂。埼玉県指定旧跡。

39 平澤寺 太田道灌の子、資康は道灌を殺害した旧主の扇谷上杉定正を討つべくここに布陣した。嵐山町平沢977。県指定旧跡。

40 輪禅寺「武田一族墓地」 武田信玄の異母弟の長篠合戦で討死した武田信実の子の川窪(武田)信俊が、武田氏滅亡後、徳川家に仕えて当地を拝領し、一族の菩提を弔うため輪禅寺を建立。家光の時、丹波の国に所替えになるが、江戸期を通じてこの寺を一族の菩提寺とした。小川町上横田1215。小川町指定史跡。

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