01 三の丸 母里太兵衛邸長屋門 |
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酒は飲め飲め・・ で知られる母里太兵衛家の長屋門。県指定文化財。
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02 下之橋御門 |
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城内に入る3つの門があったが、その内のひとつ。文化2年(1805)の建築で、平成になって不審火で焼けたが再建された。県指定文化財。
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03 下之橋御門脇の石垣 |
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04 伝・潮見櫓 |
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下之橋御門わきに建つ。大正初期に城内から黒田家別邸に移築。昭和31年現在地に再移築した。県指定文化財。
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05 大手門の濠 |
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06 松木坂御門跡 |
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07 本丸付近 |
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08 天守台石段 |
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丸みを帯びた石段。
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09 天守台石垣 |
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戦国初期の石垣を思わせる。
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10 天守台入口付近 |
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大きさを実感出来る。
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11 鉄御門跡 |
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防御のため、とても幅が狭い。この上に櫓があった。
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12 埋門跡 |
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非常に狭い。鉄御門か埋門をくぐらないと天守台に行けない鉄壁の構造。
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13 天守台から大濠公園を望む |
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大濠公園はもともと城の外濠。
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14 天守台から市内を望む |
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15 天守閣跡 |
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築城当時は天守閣があったという。
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16 天守台の高石垣 |
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17 天守台脇の広い通路 |
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18 天守台脇の狭い通路 |
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広い通路が急に狭くなったりして攻めにくい縄張り。
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19 桐木坂後門跡 |
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20 桐木坂御門付近の高石垣 |
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とてもスケールが大きい。
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21 南丸の多聞櫓 |
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建築年代は不明だが、江戸時代から残る現在の福岡城を代表する建物。国指定文化財。
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22 多聞櫓 |
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南丸の広場から見た多聞櫓。
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23 下から見る多聞櫓 |
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23~25のこの高石垣はとにかくデカイ。
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24 下から見る多聞櫓 |
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25 下から見る多聞櫓 |
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26 古い石垣 |
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27 本丸側から見た祈念櫓 |
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万延元年(1860)の建築。大正7年(1918)北九州市の大正寺に移築され、昭和58年(1983)再びここに再移築。県指定文化財。
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28 本丸下から見た祈念櫓 |
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29 東御門跡 |
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30 三の丸 如水御鷹屋敷跡 |
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官兵衛(如水)は現在「ぼたん、しゃくやく園」になっているこの場所でわずか1年隠居生活を楽しんだだけで、大阪の陣を見ることなく慶長9年(1604)京都藩邸で59才で没する。
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31 名島門 |
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天正15年(1587)に小早川隆景が築いた名島城の門で、黒田家になってから藩士の邸宅の門として使用され、明治の中頃、三の丸に移築。市指定文化財。
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32 鴻臚館展示館 |
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東御門の先、城内の平和台球場跡地に朝鮮や中国の使者を接待した奈良時代から平安時代の迎賓館、鴻臚館(こうろかん)があった。当時の建物を復元している。国指定史跡。
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33 鴻臚館展示館 |
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発掘現場を保存展示。
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34 鴻臚館跡地 |
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35 鴻臚館発掘現場 |
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現在も発掘調査が続く。
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36 崇福禅寺 山門 |
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臨済宗大徳寺派の黒田家菩提寺。大正7年(1918)福岡城本丸表御門を移築。県指定文化財。
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37 崇福寺 黒田家墓所 |
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左側の石塔が如水の墓で建碑当初のもの。長政ら5名の藩主の墓と並んでいる。墓所全体が市指定文化財。
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38 崇福寺 玄洋社墓所 |
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黒田家墓所のすぐ近くに元藩士で、明治から昭和にかけて国家主義、アジア主義を唱えた大陸浪人達の理論指導者、玄洋社 頭山満 の墓がある。戦国の世から300年を経て日本の進路に大きな影響を与えた
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