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2013年5月11日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 武蔵国カメラ風土記番外編 碓氷峠のめがね橋   New Work
 Brick Bridges and Tunnels along former Usui-toge Pass Railway Route


自分の住む深谷市の町会長さんが、信越本線の群馬県横川から軽井沢に抜ける碓氷峠のめがね橋(旧線碓氷第三橋梁、明治25年)を見に行き、安中市の教育委員会の方から深谷産のレンガが使われていると聞いて、その連絡を頂いた。煉瓦に渋沢栄一が設立に関わった深谷市上敷免の旧日本煉瓦製造株式会社の菱形の刻印があるとのことで、すぐに撮影に出かけた。

現地に着いて探したが見つからないので、安中市の教育委員会に電話で問い合わせて、トンネルの入口でその小さな、小さな刻印を見つけて撮影した。文明開化という言葉が頭をよぎった。渋沢は全力で日本の近代化の基礎を築いていた。時代は富国強兵を急ぐ日清戦争の2年前のことだ。重機のない時代に山中で煉瓦を積む工事が如何に大変だったか想像を絶する。この巨大なめがね橋を見てあらためて工事の困難さを思うと同時に渋沢の偉大さを感じた。

このアプト式だった碓氷旧線の鉄道施設全体が「碓氷峠鉄道施設」として国の重要文化財に指定されている。詳しくは下記、安中市観光協会のホームページを参照されたい。
http://www.annaka-city.com/history/01.htm

使用カメラ:ニコンD800. レンズ:FX16-35mm, 24-120mm, 70-200mmf/4, マイクロ105mm.

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01 めがね橋全景 正式名称は「碓氷第三橋梁」。川底から31mで日本最大の規模を誇る。信越本線横川駅前から坂本宿を抜けた国道18号線碓氷峠の手前にある。アプト式碓氷鉄道は昭和38年の新線開通で廃線になった。今、橋の上も含めた線路跡は「アプトの道遊歩道」として散歩出来る。(取材は5月7日)

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03 第5トンネルから見た橋の上

04 橋の上の通路

05 トンネル内部 膨大な量の煉瓦を必要としたため、深谷だけでなく軽井沢や他でも煉瓦を焼いたという。

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09 煉瓦刻印 第4号トンネル入口近くの煉瓦に小さな刻印があった。1円玉位の大きさだ。この刻印は深谷市上敷免の旧日本煉瓦製造会社事務所棟の門扉に紋章として付き、渋沢栄一の居宅「誠之堂」にもデザイン化されてある。帰ってからあらためて撮影に行った。

10 深谷市「旧日本煉瓦製造会社
   事務所棟門扉の紋章」
門扉の他にも残っている。深谷市上敷免28。(撮影5月10日)

11 刻印用具 旧日本煉瓦製造会社事務所棟で展示の「コテ」。煉瓦100個のうちの数個に手作業で刻印を押していたようだ。(撮影5月10日)

12 深谷市「誠之堂」の紋章 深谷市起会84-1 大寄公民館内。(撮影5月8日)

13 碓氷第五橋梁

14 トンネル入口 碓氷旧線には26本のトンネルがあった。

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16 線路跡

17 旧丸山変電所 横川~軽井沢間の電化に伴い明治45年に当時の国鉄が建設した総煉瓦造りの変電所。安中市の教育委員会の話では、この建物も深谷の煉瓦を使用して刻印が確認されているという。明治の建物は外観デザインが洒落ている。内部は原則非公開。

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27 峠の力餅 坂本宿から碓氷峠に行く途中の昔からの名物である。

28 坂本町「旧中山道」

29 旅籠「かぎや」 通りに面して江戸時代の建物がそのまま残っている。元高崎藩士が始めた旅籠だと案内にある。現在は個人宅で非公開。

30 横川の釜飯 自分は富山県の出身なので、信越線を良く利用した列車の時代から、横川では必ず食べた。楽しみだった。今まで一体何個食べたやら…。

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