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2013年5月28日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 武蔵国カメラ風土記19 中山道の上尾、桶川、鴻巣宿   New Work
 Post towns of Ageo, Okegawa and Konosu on the Nakasendo Route


前回の「武蔵国カメラ風土記18」では鴻巣から本庄までを取り上げたが、今回は桶川市を中心に上尾から鴻巣間を取材した。

上尾駅近くの遍照院には遊女「お玉」の墓があった。越後の出で、親の生活を楽にしようと上尾宿大村楼の遊女になったがその美貌と賢さに加えて「孝女」だと評判が良かった。病気で亡くなるとその孝行心に心打たれた主人が墓を作った。遊女は無縁仏になることが多かったからこれは大変にめずらしいことと言わねばならない。

鴻巣宿では前回見落としてしまった法要寺に、幕臣、関弥太郎の墓があった。弥太郎は幕末、渋沢栄一の従兄弟の渋沢成一郎が頭取を勤めた上野の彰義隊に加わって、のち函館の五稜郭まで戦った。教育委員会の説明に明治9年頃より鴻巣に居住し長唄の師匠になって岡安喜平次と名乗り、大正4年に亡くなったとある。

使用カメラ:ニコンD800. レンズ:FX16-35mm, 24-85mmVR, 70-200mmf/4.

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01 上尾宿「お玉の墓」 真言宗智山派寺院の遍照院本堂左手にある。上尾市上町1-6-6。

02 上尾宿「庚申塔」 中山道に面した上尾市図書館西交差点わき。

03 桶川宿「島村家住宅土蔵」 元穀物問屋の木造3階建土蔵で天保7年(1836)の建築。当時は天保の大飢饉の真最中で、この建築に携わった人々が賃金を受け取って飢えから救われたことから「お助け蔵」と呼ばれた。今、黒漆喰壁はトタンに覆われている。国登録有形文化財。桶川市寿2-1-4。

04 桶川宿「武村旅館」 桶川宿に江戸末期の天保年間には旅籠が36軒あった。この旅館は現在も営業し、間取りはほぼ当時のままで中山道を歩く人達に人気の宿だという。国登録有形文化財。桶川市南1-8-8。

05 桶川宿・淨念寺「山門」 浄土宗寺院。山門は元禄14年(1701)の建築。桶川市南1-6-11。

06 桶川宿・淨念寺「不動明王」 不動堂に安置されている。

07 桶川宿「小高家屋敷稲荷社」 江戸時代、桶川宿では紅花商人が繁栄して多くの絵馬を奉納した。桶川市寿2-2-15。

08 「桶川宿商家店先絵馬」 文久3年(1863)、上州館林の米屋勝右衛門と近江商人の小泉栄助、利七が、小高家屋敷稲荷社に奉納した。絵師は渓斎北尾重光。歴史民俗資料館に常設展示している。市指定歴史資料。桶川市川田谷4405-4。

09 桶川宿「稲葉屋本店」 桶川市南1-8-5。

10 桶川宿「島村老茶舗」 創業は嘉永7年(1854)で昭和初期の建築。桶川市寿2-1-5。

11 桶川宿「矢部家住宅付近」

12 桶川宿「矢部家住宅」 穀物問屋で紅花を扱った商家で明治38年築の土蔵造り。桶川で土蔵造りの商家はもうこの1軒のみ。市指定文化財。桶川市寿2-1-10。

13 桶川宿「矢部家住宅」 屋根の鋳鉄製の棟飾りは「烏(からす)」または「鳥おどし」と呼ぶ鳥よけ。

14 桶川宿「小林家住宅主屋」 矢部家住宅の真向かいにある。幕末の建築で元は旅籠。文久元年の和宮下向の折の古文書に当時の当主「吉右衛門」の名がある。のち小林家が建物を買い取り材木商を営む。間取りは改修されたが、外観は当時のまま。国登録有形文化財。桶川市寿1-14-11。

15 桶川宿「本陣跡」 加賀の前田家、水戸の徳川家などの指定の宿で文久元年、皇女和宮の江戸下向時も宿泊した。現在は一般の民家で原則非公開。県指定文化財。桶川市寿2-2-4。

16 桶川宿「駅付近」

17 桶川宿「煉瓦造り倉庫」 歩道橋の下の路地を少し入った所にある。桶川市北1-2。

18 桶川宿・大雲寺「女郎買い地蔵」 本堂左手に3体のお地蔵さんがあるが、一番右側のお地蔵さんが、夜な夜な寺を抜け出て女郎買いに行くので和尚さんが鎖で繋いだという。当時はそれだけ繁栄した宿場だということなのだろう。桶川市西1-10-24。

19 桶川宿・稲荷神社「力石」 ここでは特別大きい石を使用するので「大盤石」と名付けている。市指定有形民俗文化財。桶川市寿2-14-23。

20 桶川宿・稲荷神社「力石」

21 桶川宿・稲荷神社「石燈籠」 社殿正面左右にある。安政4年(1857)に24名の紅花商人が奉納した。矢部家住宅の矢部家当主の名も見える。市指定文化財。

22 桶川宿・稲荷神社
   「欅のお稲荷さん」
欅の中にお稲荷様が祭ってある。

23 桶川宿「松山道標識」 天保7年(1836) 江戸日本橋小田原町魚市場の人々が東松山市の箭弓稲荷神社への参拝の目印に建てた。小学校敷地内にある。市指定有形民俗文化財。桶川市西1-4-27。

24 北本宿「中山道」石標 北本市本宿の中山道と県道312号線が交差する本宿交差点わき。

25 鴻巣宿「一里塚」 明治16年(1883)の高崎線工事で中山道古道の東側の塚は取り壊されて西側の塚だけが残った。北本駅から鴻巣に向って線路左側の道を歩いて路地を少し入った所にある。県指定史跡。鴻巣市小松4-4854。

26 鴻巣宿・法要寺「狛犬」 真言宗智山派寺院。元、市神社にあった狛犬で、明治3年(1870)の強風で神社が倒壊、この寺に移された。鴻巣市本町2-4-42。

27 鴻巣宿・法要寺「庚申塔」 狛犬と同じく市神社にあった。寛政2年(1790)の銘がある。市指定有形民俗資料。

28 鴻巣宿・法要寺「関弥太郎墓」 岡安喜平次と名を改めた関弥太郎の墓。鴻巣は徳川家に縁が深い。その縁でここに来たのだろうか。

29 鴻巣宿・法要寺「深井景周の碑」 江戸末期の三河出身の柔術家。鴻巣の深井家に入婿して邸内に道場を開いた。多数の門弟を抱えて「無敵斎先生」と称され、碑が建立された。

30 鴻巣宿・法要寺
   「新田岩松道純の無敵斎碑文」
新田岩松氏は群馬県太田市新田庄の新田源氏の家系で岩松氏を称した。交代寄合旗本として格別の家柄ではあったが石高は120石と少なかった。道純は寛政9年~嘉永7年の幕末の当主で、その子の俊純は官軍が江戸に迫るとその先導役を務めた功で男爵になっている。
(Web-ProPhoto写真展「新田源氏」参照)

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