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2013年6月30日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 丹羽諭・坂本公一「渋沢栄一写真展」   New Work
 Web archive of the Photo Exhibition of Eiichi Shibusawa
  by Satoshi Niwa and Koichi Sakamoto in June 2013 at Fukaya City, Saitama, Japan


この作品は、2013年6月20日~24日に埼玉県深谷市のアリオ深谷1階で開催された「渋沢栄一写真展」をWeb上で保存展示するものです。




渋沢栄一は江戸時代の1840(天保11)年深谷市血洗島の農家に生まれました。時代は江戸文化の爛熟期で、11代徳川将軍、家斉が隠居して大御所に、その子の家慶が12代将軍となって老中水野忠邦が天保の改革に取組んだ頃です。

少年の頃、栄一は近くに住む従兄弟の尾高惇忠(じゅんちゅう、雅号「藍香」)に論語を学びました。そして尊王攘夷思想の影響を受けて仲間と高崎城の乗っ取りを計画したが決行に至らず、1864(元治元)年京都で池田屋事件があった年、25才の時に一橋家用人、平岡円四郎のはからいで徳川慶喜に仕えました。そして1867(慶応3)年28歳の時に慶喜の弟、昭武の渡欧(フランスパリ万博)に随行、その時に洋服を着てパリで撮ったと思われる写真はとても堂々としています。栄一の従兄弟の渋沢成一郎も慶喜に仕え、戊辰戦争では上野彰義隊の頭取を勤めています。

ヨーロッパ文明に接した栄一は帰国後に政府の要請で大蔵省に勤めますが4年ほどで辞職しました。その後、今風に言うなら起業家として第一国立銀行を初め、約500社の企業を創立、または関与したと言います。その王子製紙、東京瓦斯、日本郵船、東京証券取引所などの企業は今日も続いて近代日本資本主義の父と呼ばれています。しかし、財閥を作りませんでした。この点がのちに三菱の岩崎弥太郎と比較されることになります。また一方で社会福祉活動に深く関心を持ち、東京板橋の養育院や聖路加国際病院の運営にも関わりました。社会の仕組みのすべてに目配りしたと言って過言ではありません。そのバランス感覚には驚嘆するものがあります。

深谷市では1887(明治20)年栄一48歳の時に日本煉瓦製造会社を開業、その煉瓦は当時のブランド品であったようです。東京駅を始めとして法務省、警視庁、赤坂迎賓館、碓氷峠めがね橋など明治の代表的な建物群に使用されました。深谷近辺にもその煉瓦を使用したであろう建物、水門など、多くの建造物があります。現在、会社は解散しましたが、市内に工場の事務所、窯跡、深谷駅までの専用線の橋などが残っています。

富山県高岡市に建物が国重要文化財に指定された江戸時代からの有名な商家がありますが、そこに栄一の写真があり、書も飾ってありました。「何故?」と思って聞くと、ある時、突然、栄一が訪ねて来て「電気かガスの事業に投資するよう」説得に来たと言います。もちろん、面識はなかった。でも当主は栄一の名前は知っていました。結果、その商家は現在もエネルギー関連の事業を継続する実業家の家として続いています。現当主も栄一に深く感謝しておられるとのことでした。このような話は、全国各地にたくさんあるそうです。

使用機材  丹羽: ボディ ニコンD700, D800, D7000
レンズ FX16-35mm, 24-85mmVR, 24-120mmf/4, 28-300mm, 70-200mm f/4
 坂本: ボディ ニコンD800, D7000
レンズ FX16-35mm, DX18-200mm

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01-16 誠之堂
1916(大正5)年、第一銀行の行員達が渋沢の喜寿(77歳)を記念して東京世田谷区瀬田の銀行の保養所に建て、1999年8月に現在地に移築復元された。国指定重要文化財。深谷市起会84-1 大寄公民館内。
01 誠之堂と清風亭
   (撮影:坂本公一)


02 誠之堂
   (撮影:丹羽 諭)


03 誠之堂
   (撮影:坂本公一)


04 誠之堂「出窓」
   (撮影:丹羽 諭)


05 誠之堂
   (撮影:坂本公一)


06 誠之堂
   (撮影:坂本公一)


07 誠之堂「ステンドグラス」
   (撮影:丹羽 諭)


08 誠之堂
   (撮影:丹羽 諭)


09 誠之堂
   (撮影:丹羽 諭)


10 誠之堂
   (撮影:丹羽 諭)


11 誠之堂
   (撮影:丹羽 諭)


12 誠之堂
   (撮影:丹羽 諭)


13 誠之堂
   (撮影:丹羽 諭)


14 誠之堂
   (撮影:丹羽 諭)


15 誠之堂
   (撮影:丹羽 諭)


16 誠之堂「ステンドグラス」
   (撮影:丹羽 諭)


17-28 清風亭
1926(大正15)年、渋沢の後を継いだ第一銀行佐々木勇之助頭取の古希(70歳)に際し、行員が誠之堂と並んで建てた。1999年8月に現在地に移築復元。県指定有形文化財。深谷市起会84-1 大寄公民館内。
17 清風亭
   (撮影:坂本公一)


18 清風亭
   (撮影:坂本公一)


19 清風亭「窓」
   (撮影:丹羽 諭)


20 清風亭
   (撮影:坂本公一)


21 清風亭
   (撮影:坂本公一)


22 清風亭
   (撮影:坂本公一)


23 清風亭
   (撮影:丹羽 諭)


24 清風亭
   (撮影:丹羽 諭)


25 清風亭
   (撮影:丹羽 諭)


26 清風亭
   (撮影:丹羽 諭)


27 清風亭
   (撮影:丹羽 諭)


28 清風亭の暖炉
   (撮影:丹羽 諭)


29-33 中の家(なかんち)
渋沢の生まれた家で、現在の建物は妹夫婦が建てた。地元で「なかんち」と呼ぶ。母屋は市指定文化財。深谷市血洗島247-1。
29 中の家
   (撮影:坂本公一)


30 中の家 蔵
   (撮影:坂本公一)


31 中の家
   (撮影:丹羽 諭)


32 中の家「栄一銅像」
   (撮影:丹羽 諭)


33 青淵池
   (撮影:坂本公一)
中の家のすぐそば(北東へ約40mの地点)に位置する。かつては栄一の雅号「青淵(せいえん)」の由来となった深い淵があったという。

34-36 渋沢栄一記念館
各種資料を収蔵している。深谷市下手計1204。
34 渋沢栄一記念館「テラスの栄一像」
   (撮影:丹羽 諭)


35 渋沢栄一記念館「洋行時の写真」
   (撮影:丹羽 諭)


36 渋沢記念館
   (撮影:丹羽 諭)


37-40 栄一の親族

37 尾高惇忠宅
   (撮影:丹羽 諭)
渋沢の従兄弟の家。市指定史跡。深谷市下手計236。

38 伊勢崎市島村「田島武平旧宅」
   (撮影:丹羽 諭)
渋沢の親戚。文久3年築の養蚕農家。伊勢崎市境島村。

39 渋沢家記念写真
   (撮影:丹羽 諭)


40 鮫島純子氏
   (撮影:丹羽 諭)
栄一のお孫さん。

41-42 地元の神社

41 諏訪神社
   (撮影:坂本公一)
血洗島の鎮守の神様。1916(大正5)年に渋沢が拝殿を寄進造営し、その後毎年帰郷して例大祭に参加したという。深谷市血洗島117。

42 鹿島神社「扁額」
   (撮影:丹羽 諭)
渋沢が書いた。深谷市下手計1145。

43-54 日本煉瓦製造会社
明治政府の近代化政策に沿い、1887(明治20)年、渋沢らが尽力して建築資材供給のために設立された煉瓦会社。2006(平成18)年に廃業し、施設は深谷市に移管された。旧事務所棟・変電室・ホフマン輪窯は国指定重要文化財。深谷市上敷免28-10。
43 日本煉瓦製造会社事務所
   (撮影:丹羽 諭)
国指定重要文化財。金曜日のみ一般公開。

44 日本煉瓦製造会社事務所門扉
   「紋章」
   (撮影:丹羽 諭)


45 旧煉瓦施設
   (撮影:坂本公一)


46 日本煉瓦製造会社事務所内写真
   (撮影:丹羽 諭)
渋沢や三井物産の益田孝、のちに秩父セメントを起こした本庄市の諸井恒平らの写真がある。

47 日本煉瓦製造会社事務所「変電室」
   (撮影:丹羽 諭)
1906(明治39)、深谷市内で初めて蒸気機関から電動機に切り替えるために作られた。国指定重要文化財。

48 旧変電室
   (撮影:坂本公一)


49 旧煉瓦施設
   (撮影:坂本公一)


50 ホフマン輪窯
   (撮影:坂本公一)
国指定重要文化財。

51 日本煉瓦製造会社「刻印のこて」
   (撮影:丹羽 諭)


52 日本煉瓦製造会社事務所棟
   (撮影:丹羽 諭)


53 日本煉瓦製造会社門扉「紋章」
   (撮影:丹羽 諭)


54 日本煉瓦製造会社「紋章」
   (撮影:丹羽 諭)


55-60 上敷免鉄道(日本煉瓦製造専用線)遺構
煉瓦運搬のため、深谷駅から上敷免まで専用鉄道が建設された。その線路の一部が深谷市原郷575 ブリッジパークに保存されているほか、遊歩道として現地で利用されている。
55 避溢鉄橋
   (撮影:坂本公一)
避溢橋とは、洪水の際水が逃げるように平地に架けられた橋。市指定有形文化財。深谷市原郷575 ブリッジパーク内。

56 福川鉄橋
   (撮影:丹羽 諭)
ブリッジパークに移築保存されている。市指定有形文化財。深谷市原郷575 ブリッジパーク内。

57 備前渠鉄橋
   (撮影:坂本公一)
深谷市上敷免290。国指定重要文化財。

58 煉瓦アーチ橋
   (撮影:丹羽 諭)
備前渠鉄橋のわきで水を分岐している。国指定重要文化財。

59 唐沢川「つばき橋」
   (撮影:丹羽 諭)
煉瓦を運んだ線路の鉄橋が今は歩行者道路になっている。深谷駅近くの西島町1丁目。

60 唐沢川「つばき橋」
   (撮影:丹羽 諭)


61-65 近隣の煉瓦遺構
深谷産の煉瓦を使って作られた施設。
61 辯天門樋(べんてんもんぴ)
   (撮影:丹羽 諭)
明治38年(1905)築の深谷の煉瓦を使った水門。行田市長野7966-2旧忍川。市指定有形文化財。

62 行田「辯天門樋」
   (撮影:丹羽 諭)


63 本庄商業銀行煉瓦倉庫
   (撮影:丹羽 諭)
繭を保管した。本庄市銀座1-5-16。

64 本庄商業銀行煉瓦倉庫
   (撮影:丹羽 諭)


65 本庄商業銀行煉瓦倉庫「煉瓦刻印」
   (撮影:丹羽 諭)


66-68 富岡製糸場
渋沢栄一らが中心となって尽力し、1872(明治5)年に最初の官営模範工場として設立された。建設に際しては、今の深谷市明戸地区の人たちが富岡に移住して煉瓦を焼いたという。2014年の世界遺産登録を目指している。群馬県富岡市富岡1-1。
66 富岡製糸場
   (撮影:坂本公一)


67 富岡製糸場
   (撮影:坂本公一)


68 富岡製糸場
   (撮影:丹羽 諭)


69-76 碓氷峠煉瓦造鉄道施設
深谷産の煉瓦を使って建設され、富岡製糸場への原料品輸送にも大いに使われた。
69 碓氷峠「めがね橋」
   (撮影:丹羽 諭)
線路の建設に日本煉瓦製造会社の煉瓦を使用した。

70 碓氷峠トンネル
   (撮影:丹羽 諭)


71 碓氷峠トンネル
   (撮影:丹羽 諭)


72 碓氷峠トンネル「煉瓦の刻印」
   (撮影:丹羽 諭)
日本煉瓦製造会社の刻印。

73 碓氷峠「丸山変電所」
   (撮影:丹羽 諭)


74 碓氷峠「丸山変電所」
   (撮影:丹羽 諭)


75 碓氷峠「丸山変電所」
   (撮影:丹羽 諭)


76 碓氷峠トンネル
   (撮影:丹羽 諭)


77-83 都内にある渋沢と日煉ゆかりの施設

77 第一国立銀行跡地
   (撮影:丹羽 諭)
渋沢が日本に最初に作った銀行で、名称は国立となっているが民間銀行である。現在はみずほ銀行の支店。東京都中央区日本橋兜町4-3。

78 第一国立銀行錦絵
   (撮影:丹羽 諭)
1872(明治5)年に三井組ハウスとして当時の清水建設が建て、翌年に銀行に譲渡された。東京証券取引所内にて。

79 法務省(赤れんが棟)
   (撮影:坂本公一)
1893(明治26)年竣工。国指定重要文化財。東京都千代田区霞が関1-1-1。

80 聖路加国際病院
   (撮影:丹羽 諭)
渋沢は大熊重信らと深く経営に関わり、他にも数多くの社会福祉法人の経営に関与した。東京都中央区明石町9-1。

81 午後1時の東京駅
   (撮影:坂本公一)
1914(大正3)年竣工。深谷の日煉で作られた煉瓦が使用された。国指定重要文化財。

82 窓に映る東京駅
   (撮影:坂本公一)


83 東京駅
   (撮影:坂本公一)


84 渋沢史料館
渋沢栄一記念財団が運営。渋沢栄一に関する各種資料を収蔵・展示している。晩香廬と青淵文庫を併設。東京都北区西ヶ原2-16-1 飛鳥山公園内。
84 飛鳥山「渋沢史料館」
   (撮影:丹羽 諭)


85-90 晩香廬 (ばんこうろ)
1917(大正6)年、渋沢の喜寿を祝って飛鳥山の渋沢の邸宅に建てられた応接用の建物。国指定重要文化財。東京都北区西ヶ原2-16-1 飛鳥山公園内。
85 晩香廬
   (撮影:丹羽 諭)


86 晩香廬 リビング
   (撮影:丹羽 諭)


87 飛鳥山「晩香廬」
   (撮影:丹羽 諭)


88 飛鳥山「晩香廬」
   (撮影:丹羽 諭)


89 飛鳥山「晩香廬」
   (撮影:丹羽 諭)


90 飛鳥山晩香廬「栄一銅像」
   (撮影:丹羽 諭)


91-95 青淵文庫
1925(大正14)年、渋沢80歳の時に男爵から子爵になった祝いに晩香廬の隣に建てられた書斎兼応接間。国指定重要文化財。東京都北区西ヶ原2-16-1 飛鳥山公園内。
91 青淵文庫(せいえんぶんこ)
   (撮影:丹羽 諭)


92 青淵文庫 テラスの文様
   (撮影:丹羽 諭)


93 青淵文庫
   (撮影:坂本公一)


94 青淵文庫
   (撮影:坂本公一)


95 青淵文庫
   (撮影:坂本公一)
寿の文字を表している。

96-97 渋沢の銅像

96 常盤橋公園「渋沢銅像」
   (撮影:丹羽 諭)
日銀に近い、東京都千代田区大手町2-7-2 常盤橋公園にある。

97 深谷駅前栄一銅像
   (撮影:丹羽 諭)


98-99 墓所

98 渋沢栄一墓地
   (撮影:丹羽 諭)
1931(昭和6)年、91歳で没。墓は渋沢が生涯敬愛したという徳川慶喜墓地の近くにある。東京都台東区谷中霊園乙11号1側。非公開。

99 徳川慶喜墓地
   (撮影:丹羽 諭)
東京都台東区谷中霊園内。非公開。

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