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2013年8月18日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 九州飫肥の城下町   A Castle Town of Obi, Miyazaki Prefecture   New Work


宮崎県日南市の飫肥(おび)藩主の伊東家は、鎌倉幕府御家人の曽我物語に登場する工藤祐経(すけつね)を祖とする。祐経は伊豆の有力武士団、伊東氏の一族で頼朝の側近だが、富士の裾野の巻狩りで曽我兄弟による親の仇討ちにあった。祐経の子の祐時(すけとき)から伊東の姓を名乗って、6代祐持(すけもち)の時に足利尊氏の命で日向国に地頭として赴任して日向伊東氏が成立した。

その後は日向国で戦乱に明け暮れるが、19代祐兵(すけたけ)が天正15年(1587)の豊臣秀吉の九州平定の際に先陣を勤めて初代の飫肥藩主となった。のちの関ヶ原では東軍に味方して本領を安堵され、飫肥藩5万1千石の大名として幕末まで14代続いている。

この日向伊東氏の家系から薩摩島津家の家臣として代を重ね、日清戦争で初の連合艦隊指令長官となった伊東祐享(すけゆき)が出た。同じく薩摩の東郷平八郎は秩父平氏の渋谷重国の末だといい、九州は関東の武士団の子孫が多い。また、大友宗麟らが派遣した天正遣欧使節の一人、伊東マンショは日向伊東氏の分家の出とされる。

幕末から明治にかけて飫肥藩を代表する人物に儒学者の安井息軒と外交官の小村寿太郎がいる。安井は神田の幕府昌平坂学問所(昌平黌)の儒官に選ばれ、小村は日露戦争終了後、大国ロシアとの交渉を対等に渡り合った。その経過は作家、吉村昭の小説「ポーツマスの旗」(1979年新潮社刊、新潮文庫に収録)で世に広く知られている。小村記念館には渋沢栄一と交流があったと説明があって、渋沢の写真が飾られていたが、本当に渋沢栄一にはよく出会う。曽我物語は歌舞伎や淨瑠璃で名高いが、最近自分が読んだ本では日本中世史が専門の石井進著「中世武士団」(2011年講談社学術文庫)の解説が分かりやすかった。

使用カメラ:ニコンD800. レンズ:FX16-35mm, 24-85mmVR, 70-200mm f/4.

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01 大手門通り 正面の大手門は樹齢100年の飫肥杉4本を使用した昭和53年(1978)の再建。市指定文化財。

02 城内 映画のロケにそのまま使えそうな雰囲気だ。

03 旧本丸の石畳

04 旧本丸石垣

05 旧本丸礎石 かつてここに門があったのだろう。

06 旧本丸杉林 本丸に地震で地割れが発生して元禄6年(1693)藩主御殿を新しい本丸(飫肥小学校グラウンド)に移転させてここを旧本丸と呼んだ。100年を生きた見事な飫肥杉が林立している。市指定文化財。

07 松尾の丸 旧本丸横の曲輪に昭和54年(1979)江戸初期の書院造りの御殿を再建。

08 豫章館(よしょうかん) 最後の藩主14代祐帰(すけより)が明治2年(1869)に城内から移り住んだ御殿。屋根は茅葺きだったが、昭和初期に瓦葺きになった。飫肥9-1-2。市指定文化財。

09 小村記念館 小村寿太郎の記念館入口に胸像があった。残念ながら内部の撮影は不可。飫肥4-2-20。

10 武家屋敷街 大手門正面に向って右手の横馬場通りと呼ぶ上級家臣団の屋敷街。この一帯を昭和52年(1977)九州で最初の国重要伝統的建造物群保存地区に指定。

11 服部亭 武家屋敷街の横馬場通りにある。明治44年(1911)に飫肥杉で財を成した御用商人が贅を尽くして建てた。和の空間を中心に洋間もある豪邸。食事と休息が出来る。飫肥4-3-19。

12 服部亭

13 服部亭

14 伊東伝左衛門家 家老職の分家で石高150石の上級家臣の屋敷。飫肥4-4-1。市指定文化財。

15 伊東伝左衛門家

16 振徳堂 幕末に近い天保2年(1831)に建てられた藩校。中小姓以上の7歳以上の藩士子弟に入校を義務付け、徒歩格以下は任意で入校出来た。明治初年には約350名が学び、小村寿太郎もここで学んだ。明治10年の西南戦争で西郷軍に呼応した飫肥隊の兵站部になって銃弾の製造が行われたこともある。飫肥10-2-1市指定文化財。

17 振徳堂

18 振徳堂

19 旧山本猪平家 飫肥杉を扱った山本が、隣接する小村寿太郎の生家跡を買い取って明治40年(1907)に建てた商家。飫肥5-2-26。市指定文化財。

20 旧山本猪平家

21 旧高橋源次郎家 高橋は地元銀行頭取を勤めた県経済界の重鎮で貴族院議員を2期務めた。本町通りのほぼ中央に位置し、明治中期に茅葺きから瓦屋根に移行する初期の建築として国の登録有形文化財指定を受けた。日本画の襖絵や、孔雀が描かれた板戸などその価値は高い。飫肥5-2-12。

22 旧高橋源次郎家

23 旧高橋源次郎家

24 商家資料館 樹齢200年以上の飫肥杉を使って山林地主の山本五兵衛が明治3年(1870)に建てた土蔵造り商家。その後、金物店に使用されていたのを移築して資料館とした。飫肥8-1-19。市指定文化財。

25 商家資料館

26 商家資料館

27 伊東家墓所 伊東家の菩提寺、報恩寺は明治5年に廃寺になったが、五百祀(いおし)神社裏手に初代藩主祐兵から代々の藩主と一族の墓がある。日南市楠原地区。市指定史跡。

28 本町商人通り 商人町である。電線を地中化したことで知られる。

29 清武町 安井息軒旧宅 寛政11年(1799)にここで儒学者、安井滄洲(やすいそうしゅう)の子に生まれた幕末の儒学者で、父と共に藩校、振徳堂で教えたのち江戸で「三計塾」を開いた。弟子に土佐の谷干城、紀州の陸奥宗光らがいる。神田湯島の幕府昌平坂学問所(昌平黌)の儒官に選ばれ、本人が驚いたとの逸話が伝わっている。清武の地は飫肥城下からは随分と離れているが、飫肥藩領である。宮崎市清武町加納甲3368-1。国指定史跡。

30 清武町 安井息軒旧宅

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