Web-ProPhoto.com
2013年8月27日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
Reportage
作品一覧
List


 渋沢栄一と足尾銅山   Eiichi Shibusawa and Ashio Copper Mine   New Work


明治7年(1874)政府の突然の為替政策変更で江戸期からの豪商小野組が経営破綻するが、その過程で番頭の古河市兵衛と渋沢栄一は信頼を厚くして親交があった。その古河が明治8年(1875)渋沢の融資で新潟県阿賀町の草倉銅山を相馬家(旧相馬藩)名義で手に入れ古河鉱業を創業、明治10年(1877)には相馬家の志賀直道(作家、志賀直哉の祖父)と共に廃抗同然だった足尾銅山を買収する。鉱山開発は当時の国策だ。経営を軌道に乗せるため明治13年(1880)渋沢も経営に参画した。

当初は不採算だったが明治14年(1881)と16年(1883)に有望な鉱脈を発見。当時は世界中で電線などの需要が旺盛で銅が高値で取引されて経営が安定、明治21年(1888)には古河の単独経営に移行して日本経済に大いに貢献する。だが、この頃に鉱毒の被害が表面化して重大な社会問題に発展、田中正造らの猛烈な批判を受けて当時の農商務大臣榎本武揚は鉱毒予防工事を厳命した。その現状を不安視した渋沢から再び融資を受けて沈殿池を設置、排水の浄化など対策を講じるが、鉱毒ガスの除去は困難を極め、ようやく戦後の昭和31年(1956)に脱硫装置が設置された。だが次第に産出量が減って昭和48年(1973)に閉山、銅山は国指定史跡になった。現在も排水浄化はむろんのこと、植林を自治体と古河とボランティアによって継続中で、山は元の緑を回復しつつある。そして今は日光市が足尾町に点在する遺跡群を産業遺産としての世界遺産登録をめざしている。古河鉱業(現古河機械金属)は産業機械の他、経験からその公害防止技術は世界のトップクラスで、古河グループは日本の基幹産業に成長した。

わたらせ渓谷鉄道足尾駅前には古河が明治32年(1899)に建てた和洋折衷の「古河掛水(かけみず)倶楽部」(国登録有形文化財)がある。会社の原点を学ぶために現在も新入社員の研修に利用し、付属する重役の宿舎(栃木県指定有形文化財)と共に土日祝日に一般公開されている(共に室内撮影は不可)。室内にパネルで渋沢と古河の関係を詳しく説明し、渋沢の書が飾られている。古河は日露戦争が勃発する前年の明治36年(1903) 72歳で没したが、道徳経済合一を説いた渋沢は昭和6年(1931)91歳まで生きて、自伝で古河のことを熱く語っている。

使用カメラ:ニコンD800. レンズ:FX 24-85mmVR, 28-300mm. ISO 100-6400.

参考ページ・サイト   (リンク先を選ぶとそのページに移動します。)


各画像をクリックすると拡大表示されます。Click to enlarge.  
各作品の著作権はすべて撮影者に帰属します。
二次使用は固くお断りいたします。




01 トロッコ列車 銅山観光の受付からトロッコ列車でトンネル内に入る。銅山の住所は日光市足尾町通洞他。国指定史跡。

02 立入禁止の坑道入口

03 手堀の採掘 明治の頃は手堀だった。坑内で人形を使って説明している。

04 足尾式削岩機 大正に入ってから削岩機が普及した。古河機械金属工業は削岩機でも世界のトップメーカー。

05 削岩機

06 坑道

07 坑道支柱を建てる抗夫

08 銅のインゴット

09 銅製品

10 銅製品

11 説明版 坑道の途中の説明版に渋沢が経営に参画した記述がある。右端の写真が古河市兵衛。

12 トロッコ列車

13 トロッコ列車に積まれた鉱石

14 寛永通寶のモニュメント 江戸時代、各地の銅山は幕府が直接管轄して大量に寛永通寶が作られた。ここでは裏側に「足」の文字を入れて足字銭と呼ばれ、ここから「おあし」の名が付いたという。

15 銅銭 江戸時代、庶民は通常、小粒銀か豆板銀、または穴の開いた銅銭を利用した。金額が大きい場合は銅銭をつなげて利用した。

16 動力所跡 坑内に圧縮空気を送るコンプレッサーがあった。

17 変電所跡

18 選鉱所跡 坑内から掘り出した粗鉱を粉砕して精錬前の鉱石を取り出した。

19 抗夫の住宅 現在は空家がほとんどだ。

20 抗夫の住宅

21 お地蔵さん

22 石仏

23 鋳銭座跡 江戸時代この付近に足字銭の鋳銭をした座があった。日光市足尾町赤沢。日光市指定文化財。

24 わたらせ渓谷鉄道足尾駅

25 古河掛水倶楽部 敷地内全景。日光市足尾町掛水2281。

26 古河掛水倶楽部 廊下から正面玄関を見る。(許可を得て撮影)

27 古河掛水倶楽部 庭から和室を見る。

28 古河掛水倶楽部 庭園から見た建物全景。

29 重役宅 室内は鉱石資料館になっている。

30 煉瓦倉庫 事務所の付属書庫として建設された。

この写真家の作品一覧へ   Web-ProPhoto.com トップページへ   ▲このページの先頭へ

Copyright © Satoshi Niwa and Web-ProPhoto.com 2013. All rights reserved.