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2014年2月20日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 武蔵国カメラ風土記30 中山道深谷宿
 Post town of Fukaya on the Nakasendo Route   New Work


律令の時代、武蔵国の幹線道路は東山道で、深谷の利根川沿いには奈良時代の郡役所「幡羅遺跡」「中宿遺跡」がある。平安時代は多くの武士団が割拠した所で、畠山、本田、榛沢、人見、岡部、内ヶ島、新開氏らが源平合戦に名を残した。

南北朝時代は山内上杉家の上杉憲英(のりふさ)が庁鼻和(こばなわ)に館を構えてこれを庁鼻和上杉(こばなわうえすぎ)と呼んだ。場所は現在の国済禅寺付近で現在も土塁が点在している。利根川を渡ると新田氏の太田荘でその先が足利荘だから深谷は当時の要衝だった。だが、やがて康正2(1456)年、5代房憲(ふさのり)が古河公方の足利成氏との戦いに備えて新たに深谷城を築城、以後は深谷上杉と称した。

戦国時代の関東は戦乱を繰り返して小田原北条氏が関東全域を制圧、深谷上杉8代憲盛はその傘下に入る。だが、9代氏憲(うじのり)の時に秀吉の関東攻めで深谷城は降伏、北条氏も秀吉の軍門に降った。

家康が関東に入ると深谷城に初めは松平氏が、次に酒井氏が1万石で立藩したがすぐに廃城し、関東は川越、忍(現在の行田)、岩槻藩を除いてすべて天領になった。幕府は五街道を制定し、中山道深谷宿は日本橋から数えて10番目の宿場として発展する。天保14(1843)年には80軒の旅籠が軒を並べて飯盛女も大勢いた。本陣は1軒、脇本陣は4軒で、現在は印刷会社として続く飯島家は宝暦2年(1752)から本陣役を勤めたという。なお、2014年2月は深谷にめずらしく2度も大雪が降ったのでその光景も撮影した。

使用カメラ: ニコンD800, D3200. レンズ: FX16-35mm, 24-85mmVR, 24-120mm, 28-300mm, 70-200mmf/4.

以下の各サイトも参照されたい。

深谷市「深谷市の歴史と文化財」
http://www.city.fukaya.saitama.jp/syougaigakusyu/web_rekisi_bunkazai/index.html

深谷市教育委員会パンフレット「れきしを今につたえる深谷上杉氏」
http://www.education.fukaya.saitama.jp/syakai/4.uesugisi.htm

丹羽 諭 Web-ProPhoto写真展「武蔵国カメラ風土記7 源平合戦」
http://sniwa.web-prophoto.com/022musashi007.html

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01 雪の東方城跡 深谷城の出城だが詳細は不明。天正18(1590)年、家康が関東に入って10年程で廃城になった。中山道の東方2丁目交差点から17号バイパス方向に向かって右側「さくら保育園」の周囲の森が城跡で、土塁や空堀の跡がある。深谷市東方1,790他。市指定史跡。

02 国済禅寺 明徳元年(1390)上杉憲英が庁鼻和(こばなわ)城内に建立。写真手前左は三門の柱で後ろの建物が本堂。裏手に憲英ら一族の墓がある。臨済宗南禅寺派。深谷市国済寺521。

03 雪の国済禅寺黒門 市指定建造物。

04 雪の国済禅寺三門 市指定建造物。

05 深商記念館(二層楼) 深谷商業高校は大正10(1921)年に市民の寄付で創立、二層楼はその翌年の完成。中山道と平行する17号線に面して建つ。国登録有形文化財。深谷市原郷80。(丹羽 諭Web-ProPhoto写真展「武蔵国カメラ風土記25 渋沢栄一と深谷商業高校」参照)

06 雪の深商記念館(二層楼)

07 見返りの松 男と遊女が別れる時、この松の所で振り返って別れを惜しんだのでこの名が付いたという。今の松は二代目で、写真左側が中山道、右側は国道17号線で原郷交差点わきにある。

08 原郷交差点 左が中山道(稲荷町方向)で右が国道17号線。

09 稲荷町常夜燈雪景色 熊谷方向から来るとここから深谷宿。富士講の人々が明治初頭に建てた。市指定建造物。深谷市稲荷町。

10 常夜燈の彫刻

11 大谷家住宅 主屋、洋館、蔵など全体が国登録有形文化財。主屋と洋館は昭和初期の建築。個人宅で非公開。深谷市稲荷町2-3-39。

12 雪の大谷家住宅

13 塚本燃料店 渋沢栄一が作った日本煉瓦製造会社に燃料の石炭を納めていた商店。火防のための煉瓦の「うだつ」が付いている。大正初期。深谷市本住町1-5。

14 雪の深谷城址 城壁は現代の建築。中山道本住町交差点から国道17号線を越えた先にある。県指定旧跡。深谷市本住町。

15 小林商店の蔵 砂糖や乾物を扱う商店で大正元年(1912)築の煉瓦造りの蔵。深谷市西島町4-3-50。

16 糸屋製菓店付近の雪景色 糸屋は明治41(1908)年創業で翁羊羹、翁最中、五家寶は有名。深谷町8-5。

17 東白菊の煙突 幕末の嘉永元年(1848)越後柿崎から来て創業した造り酒屋。深谷市仲町4-10。

18 本陣遺構 深谷本陣絵図(市指定文化財)や書、座敷が残っている。幕末に皇女和の宮が休息して拝領した草履もあるが非公開。市指定建造物。深谷市深谷町9-6。

19 七ツ梅酒造の店蔵 近江商人の田中藤左衛門が元禄7(1694)に創業。銘酒「七ツ梅」は「酒は剣菱、男山、七ツ梅」と呼ばれた江戸の三大銘酒のひとつで幕府大奥の御用を受けた。平成16(2004)年の廃業だが、古い建物を映画のロケや店舗、深谷シネマなどに活用する深谷の新名所。深谷市深谷町9-12。

20 七ツ梅酒造の酒蔵と煉瓦の煙突

21 瀧澤酒造 文久3(1863)年の創業で「金印菊泉」が主力商品。工場も蔵も煙突もすべて深谷産の煉瓦で建てた。予約すれば見学可能。深谷市田所町9-20。

22 瀧澤酒造の煉瓦の蔵

23 蔵の路地

24 田所町常夜燈 呑龍院の真向かいにある。江戸時代は稲荷町の常夜燈からここまでが深谷宿。深谷市田所町11。

25 雪の瀧宮神社 秩父山地に降った雨が湧き出る神社で深谷城の守護神。JR深谷駅の裏手。深谷市西島5-6-1。

26 唐沢川の雪景色 瀧宮神社前の唐沢川の桜は深谷の名所。朱色の「やすくに橋」は鉄筋コンクリート造り。

27 雪の平忠度供養塔 清心寺の門を入った左側にある。源平一ノ谷合戦で平忠度(たいらのただのり)を討った岡部六弥太が供養のために建てた。市指定史跡。板碑は市指定考古資料。深谷市萱場441。

28 秋元氏陣屋跡 深谷上杉家臣の秋元景朝、長朝父子の館があった。秀吉の関東攻めの時、小田原城に籠城した主君の上杉氏憲に代わって杉田因幡と深谷城の守備に付き、城下を戦火から守るため前田利家、浅野長政に城を明け渡した。秋元氏はのち徳川に仕えて幕末は館林藩6万石で明治維新を迎えた。近くの元誉寺は秋元氏が建て、景朝、長朝父子の墓がある。陣屋跡と墓は共に市指定史跡。深谷市秋元町。

29 上杉房憲・憲盛墓 深谷城を築城した深谷上杉5代房憲が曹洞宗昌福寺を建立、房憲と8代憲盛ら一族の宝篋印塔がある。市指定史跡。深谷市人見1,391。

30 雪の普済寺 源平合戦で活躍した猪俣党の武士、岡部六弥太の館跡で寺は曹洞宗。「丸に跳ね十字」は岡部氏の家紋。近くに六弥太の墓(県指定史跡)がある。深谷市普済寺973。

31 中宿遺跡 奈良時代の郡役所跡。中山道は古代の東山道と重なり、利根川を渡ると上野国に至る。2013年12月8日に深谷市教育委員会による説明会があった。後方の建物は復元された正倉。深谷市岡3286-2。

32 百庚神 中山道の坂道に面した八坂神社境内に庚神塔がずらりと並ぶ。この先は17号バイパスの岡(西)交差点に突き当たる。幕末の万延元年(庚申の年)1860の建立で、世情不安から平安を願った。深谷市岡地区。

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