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2014年7月11日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
Reportage
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 弘前の建物   Buildings of Hirosaki   New Work


青森県弘前市は戦災をまぬがれ明治、大正期の多くの洋館が残った。その建物群の多くは弘前藩御用大工の家に生まれた堀江佐吉とその子らが建てている。堀江は北海道の開拓使で働いた経験から洋館建築のノウハウを学んだといい、今回、撮影した代表的な建物が旧宣教師館、旧弘前市立図書館、青森銀行記念館(旧五十九国立銀行)だ。彼の子供達も旧第八師団長官舎、旧藤田家別邸、日本キリスト教団弘前教会などを建て、洋館文化を普及させた。

明治以降弘前が発展したのは元家老の大道寺繁禎(だいどうじしげよし)の存在によるところが大きい。明治4(1871)年の廃藩置県で職を失った旧藩士の救済のためにも銀行を設立すべく、大道寺は上京して仙台平の袴に羽二重の紋付羽織を着て渋沢栄一に面会した。「従来の格式、風習はすべて捨てて商人として経営をせよ」と渋沢から助言を受けて明治12(1879)年1月に第五十九国立銀行を開業する。3月には青森県議会初代議長に就任、明治16(1883)年弘前農具会社に出資、さらに明治34(1901)年6月開業の弘前電燈会社の社長に就任するなど、幅広く発展に寄与した。清廉な人柄から市民に慕われ、明治40(1907)年には佐吉が建てた旧弘前市立図書館の2代目館長に就任、弘前農具会社は「株式会社角弘」と名を変えて今も地域経済に貢献している。

藤田謙一は藩士の家に生まれて東奥義塾を中退後、東京の明治法律学校(現在の明治大学)を出て大蔵省に入る。のち「天狗煙草」で知られる岩谷商会の支配人に就任して経済界の重鎮の一人となった。そして東京商業会議所の会頭を経て日本商工会議所の初代会頭、さらには貴族院議員にもなった。

使用カメラ:ニコンD800, D3200. レンズ:FX16-35mmf/4, 24-85mmf/3.5-4.5VR, 70-200mmf/4.


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01-02 旧東奥義塾外人教師館


01 建物全景 公共の建物が集まる追手門広場内。藩校「稽古館」を母体に明治5(1872)年に創立された私学「東奥義塾」の外人宣教師宿舎。初め、明治23(1890)年に建ったが明治32(1899)年に焼失して明治33(1900)年に再建された。学校は大正2(1913)年に一度廃校して、大正11(1922)年に再興された現在の東奥義塾高校である。設計は堀江佐吉。県指定重宝。弘前市下白銀町2-1。

02 リビング兼寝室


03-05 旧弘前市立図書館


03 建物全景 旧東奥義塾外人教師館の隣にある。八角形のドーム型双塔を持つルネッサンス様式の建物。日露戦争の翌年、明治39(1906)年に東奥義塾の敷地に堀江佐吉、斉藤主らが建てた。変遷を経て現在は市立郷土文学館付属の建物。郷土出版物や文芸資料などを展示する。県指定重宝。弘前市下白銀町2-1。

04 館長室 弘前藩元家老、第五十九国立銀行初代頭取の大道寺繁禎が2代目館長を務めている。

05 ガラス越しの旧弘前市立図書館 旧東奥義塾の2階から。


06-10 青森銀行記念館


06 記念館正面 弘前を代表する洋館で、渋沢栄一の助言と協力で創業した「旧第五十九国立銀行」の本店。明治35(1902)年に堀江佐吉が防火のために木造の洋館に土蔵造りの構造を加えてルネッサンス風に建てた。銀行は昭和18(1943)年に合併で「青森銀行」になり、本店は青森市に移転、この建物は記念館になった。渋沢の手紙などが展示されている。国指定重要文化財。弘前市元長町26。

07 フランス製応接セット 当時、輸入された家具。

08 大会議場 天井は「金唐革紙(きんからかわがみ)」と呼び、和紙に錫箔(すずはく)と漆で十七の工程を手仕事で仕上げた。今では旧日本郵船小樽支店、東京の旧岩崎邸など数か所しか見ることが出来ない。

09 窓 防犯、防火のために土と漆喰で固めた引戸が付いている。鉄格子のデザインも凝っている。

10 五円紙幣 当初、銀行は独自で紙幣を発行した。第五十九国立銀行は五円札と1円札を合計16万円発行し、明治16年の国立銀行条例再改正で償却されるまで流通した。紙幣に初代頭取の大道寺繁禎の名がある。


11-16 弘前城天守閣


11 天守閣 東北で唯一残った全国12か所の現存天守閣のひとつ。桜の名所としてあまりに有名だ。津軽家2代藩主の時に完成した五層の天守閣は落雷で焼け、その後、幕府から再建の許可を得られなかったが、幕末の文化7(1810)年、9代藩主の時に許可を得て三層の天守閣を再建した。幕府から無用の疑いを持たれることを恐れ、また、財政上の問題もあったであろう。全国的に小型の天守閣を持った藩の方が多いが、弘前藩も「天守閣」ではなく「御三階櫓」と呼んだ。城跡全域が国指定史跡で天守閣と5棟の門、3棟の隅櫓は国指定重要文化財。今年度秋から石垣の大修理が行われる。弘前市下白銀町1。

12 杉の大橋 築城当時は杉材を使用し、文政4(1821)年からは檜材。

13 天守閣付近の石垣

14 武者落し
   (むしゃおとし)
別名「石落し(いしおとし)」。石垣をよじ登って来る敵に石や材木を落とした。

15 鎧

16 二の丸丑寅櫓
   (にのまるうしとらやぐら)
防弾、防火のために屋根を銅板葺にした土蔵造り。


17 津軽為信像


17 津軽為信像 弘前藩初代藩主。像は戦前まで弘前城本丸にあったが戦争で供出、平成16(2004)年に追手門前の弘前文化センター前に復元した。為信は盛岡の南部氏と争っていたが、秀吉の小田原攻めの時にいち早く秀吉の下にはせ参じて本領を安堵された。弘前市下白銀町19-4。


18-21 旧藤田家別邸
弘前市出身の実業家の藤田謙一が建てた。洋館と煉瓦造り「考古館」は大正10(1921)年築、冠木門、両袖番屋はその翌年、和館は昭和12(1937)年築でともに国登録有形文化財。設計、施工は堀江の子の金蔵と彦三郎。弘前市上白銀町8-1。

18 洋館

19 洋館のサンルーム 喫茶室になっている。

20 煉瓦倉庫「考古館」 倉庫として建て、今は資料館。

21 和館


22 旧第八師団長官舎 (弘前市長公舎)


22 旧第八師団長官舎
明治29(1896)年、弘前に旧陸軍の第八師団司令部が置かれた。最初の師団長は戊辰戦争で活躍した桑名藩出身の立見尚文(たつみなおふみ)中将である。剣士としても指揮官としても名高く、日清、日露の両戦争にも活躍した。だが、日露戦争直前の明治35(1902)年に199名の犠牲者を出した「八甲田雪中行軍遭難事件」を引き起こした悲しい歴史もある。この官舎は大正6(1917)年、堀江佐吉の子、彦三郎が建て、昭和26(1951)年に市に払い下げられた。国登録有形文化財。弘前市大字上白銀町1-1。


23-24 日本キリスト教団弘前教会


23 外観 堀江佐吉の4男、伊三郎の設計で県指定重宝。弘前市元寺町48。

24 教会内 二階から見る。見学可能。


25-26 カトリック弘前教会


25 教会内 明治43(1910)年、神父が設計し、横山家の養子に行った堀江佐吉の弟、横山常吉が建てた。ロマネスク様式の木造モルタル造り。正面のゴシック様式の祭壇は、1886年に完成したオランダアムステルダムの聖トマス教会から譲り受けた由緒ある祭壇という。見学可能。弘前市百石町小路20。

26 ステンドグラス


27-31 石場家住宅


27 通りに面した全景 弘前城北の郭の北門(亀甲門)の目の前にある江戸時代からの大店。江戸時代中頃の建築で、わら製品などの雑貨荒物を扱う豪商だった。現在も酒、たばこを販売する現役の商店である。昭和57(1982)年に文化庁、青森県、弘前市が修繕工事を実地している。国指定重要文化財。弘前市亀甲町88。

28 長い軒下 雪対策の雁木(がんぎ)。ここでは「こみせ」と呼ぶそうだが、よくぞ残った。

29 店内 日本酒好みにはたまらない雰囲気だ。

30 土間 天井が高く空間がとにかく広い。作家の故、司馬遼太郎が「街道を行く」シリーズの取材で立ち寄った時の写真が飾ってあった。

31 囲炉裏の間 これだけの空間で板敷だ。さぞかし、冬は寒かろう。


32-34 武家屋敷「旧岩田家住宅」


32 屋敷の外観 江戸時代の中・下級武士の屋敷が並ぶ仲町伝統的建造物群保存地区にある。4軒が公開されている内の1軒で、我国沿岸に異国船が姿を現すようになった寛政-文化年間の建築と見られる。明治になって岩田家が入居した。使用人の部屋を増築するなど度々改築されているが、主要部材は建築当初の物。県指定重宝。弘前市若党町31。

33 囲い付きの井戸 雪がどれほどのものか、想像が付く。

34 台所前の飛び石


35-36 武家屋敷「旧笹森家住宅」


35 復元した屋敷 宝暦6(1756)年の「御家中屋舗建屋図」に、中級武士の佐々森(笹森)傳三郎家の図面の記載があるという。徳川将軍9代家重の時で、平成24年度に元の場所からいったん解体して移築した。保存地区では最古の住宅で、元通りに復元した。市指定有形文化財。弘前市若党町72。

36 囲炉裏の間 昔、一般の武士の家では当主や男子は座敷で、女子は囲炉裏端で膳を囲んだ。


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