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2014年12月5日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 金山城と足利学校   New Work
 Kanayama Castle and Ashikaga Gakko (School of Ashikaga)


群馬県太田市の新田源氏と、栃木県足利市の足利源氏はともに八幡太郎源義家の子、義国に始まる同族で、室町時代の初めに新田義貞や足利尊氏が活躍した。

太田市の標高239mの金山城は、今、関東の天空の城として人気が高い。応仁の乱で国中が乱れた文明元(1469)年、新田源氏一族の岩松氏が築いた。その後、下剋上で横瀬氏が城主になり、横瀬氏は由良氏と名を変え、戦国時代は小田原北条氏の傘下で生き残りを図かった。しかし、天正18(1590)年、豊臣秀吉の小田原征伐で北条氏が敗北、由良氏は常陸牛久に移転した。

徳川家は公式には新田氏を祖としている。足利源氏末裔の今川、吉良、畠山氏らと並んで、いわば遠い親戚筋の岩松も由良氏も幕末まで高家旗本として存続させた。だが、金山城は放棄され、石垣は崩落して樹木に覆われたが、昭和9(1934)年に国史跡の指定を受け、現在も復元工事中だ。(丹羽 諭 Web-ProPhoto写真展「新田源氏」「徳川家発祥の地」参照)

足利学校の創建と経過は諸説あって定まらない。小野篁、あるいは足利源氏2代の足利義兼(よしかね)の創建説などあり、隣の鑁阿寺は足利氏の館の跡地だ。当然、足利氏と深い関係にあっただろう。

学校は儒学を中心に易学、兵学、医学を教え、関東管領、上杉憲実(のりざね)は多くの貴重な書籍を寄贈し、最盛期には3,000人もの学徒が学んでいた。

戦国時代の戦は天候に大きく左右された。上杉謙信と武田信玄の川中島の合戦で謙信は霧の中から武田軍に襲い掛かり、関ヶ原合戦は濃霧の中で始まった。そのため、天候を占う易学が重要視され、戦国大名はこの学校の出身者を積極的に軍師に採用したという。天文18(1549)年に鹿児島に上陸したフランシスコ・ザビエルは「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と記している。大正10(1921)年に国史跡に指定、建物は平成2(1990)年に再建された。

使用カメラ:ニコン D800, D7100. レンズ:FX 16-35mm f/4G, 24-85mm f/3.5-4.5G VR, 28-300mm f/3.5-5.6G.



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01-11 太田金山城
国指定史跡。群馬県太田市金山町40。

01 大手虎口の石垣 尾根通りに石垣が連なる典型的な中世の山城。天空の城として大人気の兵庫県朝来市の竹田城、岡山県高梁市の備中松山城とも良く似ている。ちなみに松山城主の板倉氏は足利氏の係累とされる。

02 石畳

03 古い石垣

04 日ノ池 籠城の際は水の確保が決め手になるが、山城に石を敷き詰めたこのように大きな池があるのは珍しい。池のそばから井戸跡も出土した。築城する以前は水に関る祭祀が行われていた場所と見られている。

05 月ノ池 もうひとつの池。日ノ池と同様石敷き。

06 月ノ池

07 山頂曲輪の紅葉

08 紅葉とハイカー

09 中島知久平像 戦前、太田市にあった中島飛行機の創業者の像。丹羽 諭 Web-ProPhoto写真展「中島知久平邸」参照。

10 山頂の新田神社

11 物見台付近から見る太田市街


12-27 足利学校
国指定史跡。栃木県足利市昌平町2338。

12 学校全景 周囲を堀で囲って土手を築いている。城郭のようだ。

13 学校門と銀杏の紅葉

14 ゆるキャラの「たかうじ君」 撮影に行った日に、たまたま出会った。かぶっているのは学校門と、足利尊氏の兜をかたどった帽子だとか。

15 杏壇門 孔子廟入口の門。

16 木造孔子坐像 室町時代、天文4(1535)年の作。県指定文化財。

17 木造小野篁坐像 江戸時代、延享3(1746)年の作。平安時代の天長9(832)年に文人で公家の小野篁が学校を創建したという説がある。市指定文化財。

18 方丈全景 講義や学習を行った学校の中心となる建物。

19 南庭園 方丈の前の築山泉水の庭。江戸時代中頃の絵図をもとに復原。

20 方丈室内

21 方丈外廊下

22 上杉憲実像の模刻 室町幕府、関東管領の憲実が永享11(1439)年頃に鎌倉円覚寺から僧、快元を招いて庠主(しょうしゅ・学長)とし、国宝に指定された書籍を含めて多数の書籍を寄贈して学校の再建に尽力した。この像の実物は新潟県南魚沼市塩沢町の上杉景勝、直江兼続が学んだ「雲洞庵」にある。憲実は足利学校中興の祖とされている。

23 書籍の虫干し

24 国宝の宋版「礼記正義
   (らいきせいぎ)」の複製本
説明によると、中国の周末から前漢時代の礼儀作法、理想的な政治のありかたなどを説いた書で、正義は正しい注釈という意味。

25 北庭園 南庭園より古い庭園、江戸中期の姿に復原。

26 衆寮(しゅりょう) 学徒が生活し、勉学に励んだ部屋。

27 代々の庠主(しょうしゅ)の墓 「庠」とは学校を意味する。上杉憲実が鎌倉円覚寺から快元(かいげん)を招いて庠主(校長)とした。墓石が17基ある。

28 足利尊氏像 学校の隣にある鑁阿寺参道の小公園に平成3(1991)年に建てられた。


29-32 鑁阿寺(ばんなじ)
足利市家富町2220。

29 本堂 足利源氏2代の義兼が創建した足利一門の氏寺。大正11(1922)年に国史跡の指定を受け、平成25(2013)年に本堂が国宝に指定された。義兼は源頼朝の従兄弟で、頼朝の旗揚げの際にいち早く馳せ参じ、新田家初代の義重は参陣が遅れて頼朝の不興を買った。義兼は北条時政の娘、時子を妻に迎えて幕府内で重きをなすが、このことが後々まで足利氏と新田氏の間に不協和音を生む要因になったという。

30 本堂と紅葉

31 境内の紅葉

32 多宝塔と銀杏 多宝塔は県指定文化財。

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