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2015年5月16日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 近江商人の町、五個荘   Gokasho, The town of Ohmi Merchant   New Work


昨2014年9月に「近江八幡の城下町と近江商人」を掲載している。今回はもうひとつの近江商人の町、滋賀県東近江市「五個荘(ごかしょう)金堂町」を取材した。五個荘の名は平安時代の終りに五個所の荘園があったことに由来し、一帯の商人を「湖東商人」と呼ぶ。

五個荘の町並みは国重要伝統的建造物群保存地区の指定を受け、「てんびんの里五個荘」と称している。てんびんとは「天秤」のことで、今は4軒の商家が公開され、時期的に五月人形を展示中だった。

取材当日は台風が接近してあいにくの雨だった。人はまばらで人家わきの水路の鯉もほとんど見かけなかったが、湖東商人の故郷の空気は十分に感じ取ることが出来た。また、土人形の産地と初めて知ったことも収穫だった。

近江八幡の八幡商人は江戸時代の初めから京や江戸に進出したが、湖東商人の活躍は幕末に近い頃からだとか。京、大坂、江戸の大都市はすでに八幡商人が商圏にしていたため、湖東商人は主に脇街道を中心に営業を広げて特に北関東に多く進出したという。

ちなみに、明治後、日本の大陸進出で朝鮮半島や、満州、中国で「三中井百貨店」を展開した中江家は、今は彦根で洋菓子店を経営し、商家として続いている。他にも伊藤忠、丸紅、高島屋、兼松、トヨタ、武田薬品など、近江商人の系譜を引く企業はあまたある。
参考サイト:五個荘「湖東商人」
http://www.omi-syonin.com/htm01/gokasyo.htm

使用カメラ:ニコンD5300, D610. レンズ:DX 18-55mm f/3.5-5.6GII, FX 28-300mm f/3.5-5.6G.

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01 五個荘の田んぼ

02 町並み

03 水路


04-08 中江準五郎邸(東近江市五箇荘643)
中江家は明治から昭和にかけて朝鮮半島と中国で「三中井百貨店」18店舗余を展開した商家。昭和20(1945)の敗戦で撤退、現在は彦根市で洋菓子店「三中井」を経営。井桁菱の商標を引き継ぎ、老舗企業として存続。

04 中江準五郎邸 昭和8(1933)年の建築で、近代近江商人の本宅の典型として整備、公開中。

05 五月人形 この時期は各家で商家の五月人形を展示中だった。

06 豪華な西陣織の打掛

07 建築当時の窓ガラス 驚くべきことに各家でこの貴重なガラスが健在だった。

08 小幡人形 小幡人形と書いて「おばたでこ」。五個庄地区小幡町は土人形の産地。中江家の内蔵で人形を常設展示している。


09-21 外村宇兵衛邸(東近江市五個荘金堂町645)
江戸時代の文化10(1813)年、外村与左衛門(6代)の末子が興した商家。時代は沿岸に外国の船が出没し始めた頃である。その後、東京・横浜・京都・福井で呉服、太物、生糸を販売して成功を治め、明治時代に全国長者番付に名を連ねた家だ。当時は十数棟の建物があったが、半分ほどが取り壊されていたため、明治期の姿に修復して公開中(市指定史跡)。

09 川戸 (かわと、または入れ川戸) 邸内に水路を引き込んで食材などの洗い物をした。鯉などが残飯、野菜屑などを餌にして川を清潔に保ってくれる。

10 水屋(台所)の板の間

11 座敷

12 大福帳

13 内蔵の二階

14 漆器の食器類 祝い事に使用した器。

15 火鉢

16 外村の法被(はっぴ)

17 宇兵衛家三代「元明」肖像写真 元明は幕末の横浜開港で横浜支店の経営に力を入れて生糸の販売に尽力。村の戸長を勤めるかたわら、社会事業にも深く関係したという。元明は渋沢栄一が従兄弟の渋沢喜作と横浜の生糸貿易に深く関った同時代の人物だ。渋沢と接点があるかも知れない。

18 算盤

19 日本橋店の図面 東京日本橋に明治16(1883)年7月に落成。日本橋は西川産業、柳屋、高島屋などの近江商人が軒を連ねる所だった。

20 庭園

21 「てんびん」を担いだ像


22-26 外村繁邸(東近江市五個荘金堂町631)
第1回の芥川賞候補になった作家「外村繁」(明治35(1902)年~昭和36(1961)年)の生家。外村宇兵衛家の分家で、東京の高田馬場と日本橋に呉服木綿問屋を営んでいた。

22 五月人形 中央の床几に腰を下ろした武将は豊臣秀吉。

23 障子越しの庭園

24 内蔵の「外村繁文学館」 代表作に「草筏」「筏」「花筏」など。

25 てんびん像と陶狸 庭に置かれた狸の目が大きいのは「社会情勢を見通せる」ように太っ腹な精神を持ち、近江商人の家訓を身に付けて狸(他抜き)のごとく秀でた人物になれとの意味と説明にあった。手前のシルエットはてんびんの像。

26 居間のちゃぶ台

27 金堂まちなみ保存交流館 金堂まちなみ保存会が運営する三中井百貨店の中江富十郎の家。この日は残念ながら休館日。


28-41 藤井彦四郎邸(東近江市宮荘町681)
藤井彦四郎は明治32(1899)年23歳で分家、明治40(1907)年に藤井糸店を創業し、人造絹糸の鳳凰印「絹小町糸」やスキー毛糸の製造販売で成功した。生家を移築した母屋は質素に、客をもてなす客殿は迎賓館として昭和9(1934)年、総檜で建てた。客殿と洋館は県指定文化財、庭園は市指定名勝。その他は国登録有形文化財。

28 近江商人のいでたち

29 節句の鎧

30 小幡人形

31 鈴木貫太郎の書 鈴木の書があった。鈴木は関宿藩士の家に生まれた海軍の軍人で昭和天皇の侍従長。実直な人柄で知られる。昭和11(1936)年、2.26事件の反乱軍の襲撃で重傷を負うが奇跡的に回復した。戦争中は天皇の信頼篤く、終戦時は総理大臣としてポツダム宣言の受託を決意、昭和20(1945)年8月15日の早朝に再び襲撃を受け、間一髪で逃れた。藤井との接点は不明だが、あるいは藤井の皇族との繋がりからここに飾られたか。

32 座敷 皇族らが休息に使用した部屋。作家の徳富蘇峰の名もある。

33 手入れの行き届いた庭園

34 結界 結界を前にした商家の構えが再現されている。

35 看板類

36 機織り機など 近江は機織りが盛ん。特に麻織物は主要な産物だった。

37 水屋(台所)

38 洋館 彦四郎は地元の人々が集まる場所としてこの洋館を建てた。

39 洋館室内 大きなテーブルを真中に、ピアノや書籍を置き、建物は公民館、図書館として機能していた。彦四郎は地域貢献を念頭に置いていた。

40 藤井彦四郎の像

41 暖簾 藤井家と特に関係はなく、別の店の暖簾を資料として展示。日本橋三越とも関係ないが、デザインがいい。

42 床の間の小幡人形 お昼に入ったうどん屋さんで出会った。各家庭でこのように飾っているのだろう。

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