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2016年9月6日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 高崎市の八幡塚古墳   New Work
 Hachimanzuka Tumulus in Takasaki City, Gunma Prefecture



平成24(2012)年11月、群馬県渋川市「金井東裏遺跡」で、榛名山の火砕流に巻き込まれた古墳時代の武人が甲(よろい)を着たまま出土、大きなニュースになった。群馬県は古代国家「毛野国(けぬこく/けのこく)」が栄えた所で、遺跡が多い。例えば太田市の資料に、消滅したものを含め「市内に約1,200の古墳を確認」とあり、多くの鉄製武器や武具が発掘された。県のHPを見ると群馬県全体では10,000基を超える。それだけの人口と生産性があった。そのため、県は群馬を「東国古墳文化の中心地」としている。先日NHKで、このことも含めて高崎市郊外、榛名山山麓の八幡塚古墳が紹介されていた。

八幡塚古墳は「かみつけの里博物館」がある「上毛野はにわの里公園」内にある。上毛野国(かみつけのくに)の王の墓で、全体に葺石を敷き、墳丘全長96m、墳丘推定高8m、墓域の全長約190mの前方後円墳が復元されている。発掘された円筒埴輪の数はおよそ6,000本、5世紀から6世紀にかけて「二子山古墳」「八幡塚古墳」「薬師塚古墳」の順で築造され、「保度田古墳群(ほどたこふんぐん)」と命名された国指定史跡である。水田跡や、全国で初めてという王の館跡も発掘された。上毛野国は中央のヤマト政権とも交流する強大な国家だったが、榛名山の噴火でそのまま地下に埋まっていた。

二子山古墳からは朝鮮半島の影響を受けた遺物が出土、渡来人の村や墓も発掘され、高句麗、新羅、百済国との交流が推測出来るという。薬師塚古墳は公園から少し離れた位置に現存、墳丘にお寺が建っている。

「保度田古墳群」の撮影後、高崎市内「群馬の森」内の「群馬県立歴史博物館」に立ち寄った。八幡塚古墳から出土した盾持武人像の他、レプリカではあるが「甲を着た古墳人」もある。ちなみにここの展示は素人にも大変にわかりやすかった。

日を改め、太田市内にある墳丘の全長210mという東日本最大の巨大前方後円墳「天神山古墳」にも行った。すぐ側に小型の「女体山古墳(にょたいさんこふん)」もある。上毛野国と関連する王の墓と見られ、二つの古墳も共に国指定史跡である。陸橋の上から古墳を俯瞰して撮影したあと、女体山古墳で、木の洞を出入りする蜂を見かけた。これはスズメバチがいる可能性が高い。早々に退散した。
使用カメラ:ニコンD7200, D500. レンズ:DX 16-80mm f/2.8-4E ED VR, 55-200mm f/4-5.6G ED VR II.


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各作品の著作権はすべて撮影者に帰属します。
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01-22 八幡塚古墳
「上毛野はにわの里公園」内。高崎市井出町1514。

 01 盾持武人埴輪 新たに製作された埴輪。入れ墨をしている。

 02 八幡塚古墳全景

 03 外堀


 04-09 埴輪群
内堤に円筒埴輪で区画を設け、約54体の形象埴輪(人物や動物)が発掘された。儀式を表した場面と考えられ、想定復元して並べてある。

 04 埴輪群と古墳

 05 先頭の武人埴輪

 06 弓を構える兵士像

 07 馬

 08 椀を捧げる巫女

 09 相撲取り


 10-19 古墳全体

 10 全景

 11 埴輪と古墳 左の大きく口が開いた埴輪が「朝顔型埴輪」右側の小さな埴輪が「円筒埴輪」。

 12 後円部 人物からその大きさを想像して欲しい。

 13 前方部

 14 前方部から後円部を見る

 15 後円部

 16 後円部

 17 後円部頂上から
    薬師塚古墳を望む
左手のお寺の屋根が見える所が古墳。

 18 後円部石室の石棺

 19 中島 堀の中に直径約18mの円形の島が4つある。祭壇と考えられるが、薬師塚古墳にはない。


 20-22 盾持武人埴輪
入れ墨をした埴輪。当時はべんがらを使用したらしい。世界には現在も似た風俗がある。堀の土手で古墳の警備に付いている。

 20 盾持武人埴輪

 21 盾持武人埴輪

 22 盾持武人埴輪


23-26 二子山古墳

 23 二子山古墳全景

 24 前方部の階段

 25 前方部から後円部を見る 周囲から水田跡が発掘されている。

 26 八幡塚古墳から見た二子山古墳


27-29 薬師塚古墳
高崎市保渡田町。

 27 円光寺境内の古墳の階段

 28 道路から見た古墳

 29 墳丘の石棺


30-31 かみつけの里博物館
各カットとも許可を得て撮影。

 30 発掘された埴輪群

 31 盾持武人埴輪


32-38 群馬県立歴史博物館
略称“れきはく”。県立「群馬の森」内の博物館。取材した当日が偶然リニューアルオープンの日だった。高崎市綿貫町992-1。各カットとも許可を得て撮影。

 32 群馬県立歴史博物館正面

 33 武人埴輪 榛名山の東麓、榛東村の「高塚古墳」から昭和34(1959)年に出土。入口を入ると最初にこの埴輪が出迎えてくれる。古墳時代の6世紀の埴輪と見られ、ポスターやパンフレットにもこの埴輪の写真が使用されている。(群馬大学蔵)

 34 盾持武人埴輪三体 八幡塚古墳から平成5(1993)年の発掘で出土。

 35 甲を着た古墳人 6世紀初頭の榛名山の噴火で火砕流に襲われた武人。うつぶせの状態で発掘され、考古学上の大発見だった。

 36 縄文時代中期の土器「深鉢」

 37 縄文時代後期の「注口土器」

 38 短甲と冑 太田市鶴山古墳(太田市烏山上町2140他)の副葬品。(群馬大学蔵)

39 太田市天神山古墳 東日本最大規模で、全国でも30位以内の大きさの前方後円墳。毛野国(けぬこく/けのこく)の王の墓。太田市内ヶ島町1606-1他。

40 太田市女体山古墳 墳丘の長さ106mの帆立貝形古墳。天神山古墳と関係ある人物の古墳。太田市内ヶ島町1506-1他。

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