埼玉に古民家は多い。和光市には道路建設に伴い、移築復元されたおよそ300年前の茅葺古民家、市指定文化財の「旧富岡家住宅」がある。元禄の頃の建物で、600坪の敷地に潜り門、納屋風の管理棟、井戸、物置を置き、当時の農家のたたずまいを再現している。「新倉ふるさと民家園」として公開され、昔の生活を学ぶ場になっている。
越谷市には二つの古民家、大間野町「大間野町旧中村家住宅」と、越谷レイクタウンの「旧東方村中村家住宅」がある。同じ中村家だが、二軒はまったく別の家だ。解説の冊子を見ると、関係は見られるが、近い親戚ではないらしい。
大間野町旧中村家住宅の主屋は大正3(1914)年築だから、古民家としては比較的新しい。平成9年に市に寄贈、出来る限り古材を活用して建築当時の姿に復元「越谷市保存民家」として公開されている。長屋門、石蔵、土蔵、屋敷林を持つ豪邸で、一見に値する。ちなみにこの中村家は家伝で豊臣政権下の大名、小西行長の家臣と伝えられている。慶長5(1600)年の関ヶ原合戦後に移住して開拓に従事、現在に続いた家だ。
もうひとつの中村家「旧東方村中村家住宅」は、市指定有形文化財。今では越谷市大成町と町名が変わった江戸時代の忍藩領、旧東方村の名主宅である。昭和49(1974)年に旧見田方遺跡公園に移築後、再び平成26(2014)年に越谷レイクタウン駅前に移築した。
元は茅葺だが、現在は防火のために屋根は金属板葺になっている。建築は江戸時代の安永元(1772)年、越谷市で最古の古民家という。歴史年表を見ると、この年、田沼意次が老中に就任、日本は米経済から重商主義経済へと移行しつつあり、経済が活況を呈した頃だ。
座敷に江戸時代後期に描いた「韓信の股くぐり」の板戸があった。中国秦朝末期の武人、韓信が、無頼漢に「股をくぐれ」と因縁を付けられ、無頼漢の股をくぐったという場面を描いている。大事を成そうとする者は一時の恥を恐れるなという教えである。韓信は劉邦を助け、前漢の建国に功を立てた。ただし、最後は殺害されている。
使用カメラ:ニコンD7200, D500. レンズ:DX AF-S 16-80mm f/2.8-4E ED VR, AF-S 55-200mm f/4-5.6G ED VR II, AF-P 70-300mm f/4.5-6.3G ED.
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