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2013年3月26日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 徳川家発祥の地
 The birthplace of the Tokugawas   First appearance on the Web: September 23, 2011


平家の時代が終焉する頃、八幡太郎源義家から3代源義重が群馬県太田市世良田に土着して荘園を開発、新田(世良田)姓を名乗るが、これが新田源氏の祖である。その子義季(よしすえ)は別家して館のある徳川(あるいは得川)郷の地名から徳川氏と称し、臨済宗長楽寺を創建する。やがてその一族は惣領家の新田義貞と同属の足利氏とともに鎌倉幕府を倒すが、南北朝に入ると新田一族は南朝方に属し、北朝方の足利氏に敗れる。その後徳川氏末裔の親氏は仏門に入って時宗の「徳阿弥」として各地を流浪、三河で土豪の松平氏に婿入りする。その松平氏末裔の家康が新たに徳川姓を名乗って江戸に入ると長楽寺を保護。3代家光は「世良田東照宮」を造営するに至る。以後、徳川家は世良田の名を松平と並んで格別の名跡として位置づけた。現在、一帯の東照宮、長楽寺、総持寺など11の史跡が一括して国指定史跡となっている。

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01-15 世良田東照宮
徳川3代家光の時、日光東照宮の大改築に伴い拝殿、唐門など2代秀忠が元和年間に造営した東照宮奥宮(幕府大工頭、中井大和守正清が作る)を長楽寺境内に移築して世良田東照宮とした。桃山時代の建築様式を残す貴重な建物で国重要文化財。(太田市世良田町3119-1)
01 正面鳥居

02 葵の紋

03 大鉄燈籠

04 拝殿

05 拝殿側面

06 鷹の彫刻

07 拝殿の彩色

08 龍の彫刻

09 記念植樹

10 石燈籠

11 唐門

12 本殿

13 葵の紋と鷹

14 3羽の巣籠りの鷹の子

15 唐獅子

16-26 長楽寺
承久3年(1221)鎌倉幕府の実権が北条政子と弟の義時にある頃、義季が臨済宗開祖栄西の高弟、栄朝を招いて東日本最初の禅寺として創建、徳川氏菩提寺とした。祖先の寺として家康が保護して天海僧正が天台宗に改宗する。寛永年間に3代家光が東照宮の別当寺とした。(太田市世良田町3119-7)
16 勅使門

17 三仏堂

18 葵の紋

19 太鼓門正面

20 太鼓門側面

21 徳川義季一族墓地

22 宝塔

23 徳川家達

24 開山堂

25 心字池と渡月橋

26 法蔵

27-29 徳川万徳寺(時宗)
義季が創建した尼寺で、開山は義季の娘「浄念尼」。家康の孫娘千姫が豊臣秀頼と別れ、この寺に入寺する形をとって再婚したことから鎌倉の東慶寺(臨済宗)と並ぶ「縁切寺」となった。3代までは江戸城大奥から住職が選任されたという。幕府の崩壊で明治5年に廃寺となるが、地元徳川区民が維持管理を続け、旧境内全域が県史跡の指定を受けて平成になって資料館とともに再建された。(太田市徳川町385-1)
27 徳川満徳寺

28 中門から本堂を見る

29 駆込門

30-32 館の坊総持寺(新義真言宗豊山派)
新田氏惣領家の館跡と伝承される。当時は館の坊と呼ばれていた。新田義貞はここから鎌倉をめざしたと思われる。(太田市世良田町3201-6)
30 館の坊総持寺

31 境内の石仏と曼珠沙華

32 無縁供養塔

33 徳川義季館跡

34 旧尾島町案内板

35 伝新田義重夫妻墓

36 子方明神跡

37 大館氏館跡

38 新田義貞像

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