01 全景 |
 |
一帯は鎌倉時代に先住の一族が土台を作り、戦国時代の永禄年間から桐生彦部家初代、信勝が城壁化した。
 |
|
02 長屋門 |
 |
江戸期(詳細は不明)建築の寄棟造り。門前には譜代の家臣達の屋敷があった。
 |
|
03 長屋門から主屋を見る |
 |
一般的な豪農に比べて門から主屋までかなり広い。
 |
|
04 主屋全景 |
 |
入母屋造りの約430年前の建築(1650年に改築)。関東では最古に属する。
 |
|
05 主屋の外壁 |
 |
正面右側。窓が比較的小さい。
 |
|
06 囲炉裏のある広間 |
 |
土間には馬屋もある。
 |
|
07 広間の床 |
 |
竹すのこの床は珍しい。
 |
|
08 梁 |
 |
比較的細い木で組み合わせている。
 |
|
09 柱 |
 |
ケヤキ、クリ、クルミなど、雑木を利用。
 |
|
10 南面から見た奥座敷 |
 |
 |
|
11 表座敷 |
 |
 |
|
12 側面 |
 |
 |
|
13 染色窯 |
 |
桐生は織物業が盛ん。天文17年(1548) 将軍足利義輝に献上するための、愛妾の小侍従から彦部晴直宛の注文書「仁田山袖文書」が残っている。
 |
|
14 右が穀倉、左奥が文庫倉 |
 |
穀倉、文庫倉ともに切妻造り。穀倉には幕末の安政3年(1856)5月3日の墨書きがある。文庫倉には中世の古文書が多数と足利12代将軍義晴下賜の扇などが残る。
 |
|
15 冬住み |
 |
入母屋造りの隠居屋で江戸後期の建築。多くの文人が訪れた。
 |
|
16 冬住み |
 |
 |
|
17 明治から大正にかけての 織物工場寄宿舎 |
 |
 |
|
18 庭の樹林 |
 |
背後の山に中世の手臼山の砦跡がある。
 |
|
19 真竹の竹林 |
 |
昔は戦で竹束を火縄銃の弾除けに使用した。慶長5年の関ケ原の合戦では徳川方に旗竿用に380本献上したという。
 |
|
20 けやきの大木 |
 |
庭木を切るなという言い伝えがある。
 |
|
21 櫓台跡 |
 |
屋敷裏手、搦手わきの見張り台跡。北方に桐生城を望む非常に貴重な遺構。
 |
|
22 搦手門跡 |
 |
 |
|
23 枡形の石垣 |
 |
虎口が当時そのままに残る。
 |
|
24 石垣 |
 |
玉石を使用した矢筈積形式で堅固。
 |
|
25 櫓台から見た枡形の石垣 |
 |
 |
|
26 空堀と木橋 |
 |
中世の頃は敵の襲来に備えた跳ね橋だったと思われる。
 |
|
27 櫓台から見た空堀と橋 |
 |
かつては橋の向こうにも譜代の家臣達の屋敷が立ち並んでいた。
 |
|
28 外から見た櫓台と空堀 |
 |
 |
|
29 土塁と堀は今も健在 |
 |
 |
|
30 大手西側の堀 |
 |
 |
|
31 向こうが長屋門 |
 |
 |
|
32 玉石の石垣 |
 |
 |
|
33 彦部晴直、輝信と信勝らの墓 |
 |
近くの彦部家菩提寺「福厳寺」にある。将軍足利義輝に仕えた晴直、輝信父子は、永禄8年(1565)三好・松永の乱で義輝とともに討死。彦部の家督は輝信弟の信勝が継いだ。
 |
|
34 譜代の墓 |
 |
彦部家一族墓地の下段に家臣達の墓が多数配地されている。
 |
 |