01-07 観音寺城跡
太平記に名がある中世の代表的な山城で琵琶湖のそば安土町の標高約430mの繖山(きぬがさやま)南斜面一帯に縄張りされた。室町時代、六角氏が支配するが、同族の京極氏と度々争い総石垣が築かれる。のち信長に六角氏は追放されて城は放棄された。滋賀県近江八幡市安土町石寺。国指定史跡。 |
01 石段 |
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近年発掘されるまで雑木などに埋れていた。
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02 石垣 |
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近江は「穴太(あのう)積み」の石工集団を生んだ所で総石垣は当時の最先端の土木技術。
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03 虎口 |
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04 曲輪 |
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土器や陶磁器などの遺物が出土。
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05 曲輪への道 |
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一般に曲輪を繋ぐ道は非常に細い。防御上からあえて兵一人か二人が通れる程度の道が多い。
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06 本城跡 |
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どのような建物があったかは不明。
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07 観音正寺 |
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推古天皇13年(605)、聖徳太子の創建によるという。六角氏の庇護を受けたが度々火災に会う。現在の本堂は平成16年(2004)の再建。
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08-17 安土城跡
標高約199mのより琵琶湖に近い安土山に信長が天正7年(1579)に構築した。後の天守閣のモデルとなった高層の天主は3年後の天正10年(1582)本能寺の変の直後に焼かれて城は放棄されてしまう。2004年、山本兼一氏の小説火天の城(松本清張賞)はその築城の過程を克明に追い映画化された。滋賀県近江八幡市安土町下豊浦。国指定特別史跡。 |
08 大手道 |
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山麓から天主まで大規模な石段が続いて両側に側溝がある。登りは相当にきつい。
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09 豊臣秀吉邸祉 |
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大手道に沿って石垣で基礎を作った家臣達の屋敷があった。
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10 安土の町を見下ろす |
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11 石段の石 |
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突貫工事で近在の石をかき集め、石仏、墓石までも利用した。
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12 織田信長公本廟 |
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秀吉が建てた。
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13 天主閣入口 |
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14 天主閣址 |
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天主は高さ約46m、5層7重(地下一階)で世界最初の木造高層建築物だった。
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15 総見寺三重塔 |
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信長が甲賀から移築したという。国指定重要文化財。
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16 琵琶湖 |
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かつて城は湖に面していた。
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17 山麓の石垣 |
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後に各地の城で石垣が普及する。
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18-20 信長の館
町の記念館で、復元された天主5,6F部分と、狩野永徳らが描いた豪華な金碧障壁画を見ることが出来る。ここで2011年のNHK大河ドラマ江‐姫たちの戦国のロケがあった。 |
18 天主外観 |
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19 5F「八角の段」の間 |
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20 6F「四角の段」の間 |
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21-34 彦根城
松本城、姫路城、犬山城と並んで天守閣は国宝。琵琶湖畔の標高約136mの彦根山(別名金亀山)に建つ。徳川家の井伊家14代35万石の平山城で、関ケ原合戦後、豊臣家の大阪城に対する備えの城として構築された。全体が完成したのは大阪夏の陣の後だ。幕末には大老の井伊直弼を生み、最近はゆるキャラのひこにゃんの登場で人気がある。滋賀県彦根市金亀町。国特別史跡。 |
21 天守閣 |
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関ケ原合戦の後、築城を急いだためか慶長12年(1607)に京極家の大津城天守を移築した。小ぶりな城だが外観の美しさに定評がある。
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22 天秤櫓 |
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長浜城の大手門を移築したとされるがはっきりとしたことは不明。国指定重要文化財。
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23 太鼓門櫓 |
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これも他の城からの移築という。国指定重要文化財。
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24 虎口 |
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25 天守閣 |
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26 天守内部 |
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27 天守内部 |
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武者走り
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28 天守内部 |
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29 表御殿 |
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藩庁の建物を復元。鎧や太刀など大名道具を展示する博物館を兼ねる。
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30 表御殿 |
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31 玄宮園 |
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4代藩主の時の造営で近江八景を模した大名庭園。国指定名勝。
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32 玄宮園から見た天守閣 |
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33 馬屋 |
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表門にある馬屋。国指定重要文化財。馬屋の指定は全国的に珍しい。
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34 二の丸佐和口多聞櫓 |
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左の建物は明和8年(1771)の再建で国指定重要文化財。
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35-40 大阪城
かつて石山本願寺があった場所に豊臣秀吉が「平城」と「平山城」両方の性格を持つ巨大な城を建てるが大阪夏の陣の後、徹底的に破壊される。現在の城跡は元和6年(1620)徳川家2代秀忠が各大名に割普請で競わせて再構築した。外様大名の財力を削ぐ狙いもあって秀吉の城よりさらに大きく作って3代家光の時に完成した。国指定特別史跡。 |
35 大手門付近 |
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36 多聞櫓 |
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寛永5年に作られたが落雷で焼失、嘉永元年(1848)の再建。国指定重要文化財。
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37 天守閣 |
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寛永3年(1626)家光の時に完成して、寛文5年(1665)4代家綱の時落雷で焼失するが再建されなかった。現在の天守閣は「大阪夏の陣図屏風」を参考に昭和6年(1931)コンクリートで再建。中は歴史博物館。国登録有形文化財。
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38 巨石 |
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瀬戸内の小豆島などから巨石を運んだ。
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39 高石垣 |
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築造技術の向上で完成度の高い曲線の見事な石垣を生んだ。
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40 天守の装飾 |
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徳川家の威光を示すためだろう。豪華な装飾が施されている。
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