01 春の忍城 |
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行田市本丸17-23。県指定旧跡。
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02 春の忍城 |
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03 春の忍城 |
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04 城の狭間から見た桜 |
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05 忍城おもてなし甲冑隊 |
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06 高源寺「正木丹波守利英墓」 |
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映画では佐藤浩市が演じた。正木は戦後、武士を辞めて寺を建て敵味方の戦死者を弔った。山門を入ってすぐ左手にある。行田市佐間1-2-9。
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07 佐間天神社「佐間学校跡」 |
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明治になって社務所に学校が作られた。正木の館はこの辺りにあったと推測されている。行田市佐間1-10-6。
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08 水城公園 |
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城はかつて沼地や泥田に囲まれ「浮き城」と呼ばれていた。昔の面影がわずかに残っている。佐間天神社裏手から広い範囲が公園だ。
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09 水城公園 |
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10 進脩館跡 |
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住宅街に江戸時代の藩校跡があった。行田市内。
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11 清善寺 |
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忍城主、成田顕泰(あきやす)の弟、顕忠(あきただ)が開基の寺。行田市忍2-8-18。
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12 清善寺「成田顕忠墓」 |
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昭和54年に成田某が墓を改修した。子孫は続いている。
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13 春の丸墓山古墳 |
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石田三成が忍城を攻めた時、この古墳に陣を敷いた。行田市佐間古墳公園。全体が国指定史跡。
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14 忍城を望む |
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丸墓山古墳頂上から見た忍城。かなり距離がある。
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15 菜の花の将軍山古墳から見た 丸墓山古墳 |
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16 稲荷山古墳から見た丸墓山古墳 夕景 |
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17 松平家墓地 |
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さきたま古墳公園内の天祥寺に伊勢桑名から転封した忍城最後の藩主家、奥平松平家の9代松平忠堯(ただたか)、11代忠国(ただくに)、12代忠誠(ただざね)の3代の墓が並ぶ。行田市埼玉5209。市指定史跡。
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18 石田堤 |
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石田三成が水攻めの土手を築いた。面した道は江戸時代の日光裏街道である。水攻めは秀吉の意思だった。行田市堤根1262。県指定史跡。
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19 堀切橋 |
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忍川にかかる橋。石田堤が切れた所にある。この場所で土手が崩れて水攻めは失敗した。
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20 成田氏館跡 |
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忍城を築城するまで約400年間拠点を構えていた所。成田小学校のすぐ近くにある。熊谷市上之中宿。熊谷市指定史跡。
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21 龍淵寺「成田一族墓」 |
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寺は成田氏中興の祖という12代五郎家時が創建して7基の墓石が並ぶ。左から3番目が17代氏長、4番目が五郎家時のものと寺では説明している。近くの成田小学校は校歌に五郎家時が登場して学校のホームページでその歴史を説明している。熊谷市上之336。熊谷市指定史跡。
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22 龍淵寺「成田五郎家時墓、 又は供養塔」 |
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五郎家時墓だとの石柱が建っている。
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23 龍淵寺「成田家臣墓石群」 |
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24 東別府神社「春の別府城跡」 |
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成田氏5代助高の子の行隆が別府氏を称し、行隆の子の兄弟が東別府と西別府に分かれたとされるが詳細は不明。別府氏、奈良氏、玉井氏共々その館は互いにすぐ近くにあった。熊谷市東別府。県指定史跡。
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25 香林寺「別府太郎義重、 小太郎清重墓」 |
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寺は鎌倉時代の文治3年(1187)成田小太郎清重が父、義重の冥福を祈って建立した。平家が滅亡してまだ間もない頃である。左の宝篋印塔が小太郎清重墓、右から二つ目が義重墓で墓には義重が開基だとある。室町時代の天文年間に別府長清が堂宇を建てた。双体道祖神があることで知られた寺だ。
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26 安楽寺「別府頼重墓」 |
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南北朝時代、西別府の別府頼重の文和3年(1354)の板石塔婆。熊谷市西別府2044。県指定史跡。
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27 玉井寺「玉井四郎(助実)」墓 |
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5代成田助高の子で玉井氏の祖。自然石を重ねた後世の供養塔だとの説がある。保元の乱には源義朝に従い、平家物語には一の谷合戦で玉井助影(助重の誤りか)が平通盛を討ったとある。熊谷市玉井1888。熊谷市指定史跡。
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28 妙音寺「奈良三郎墓」 |
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5代成田助高の子で奈良氏の祖。江戸時代の享保年間に再建された自然石の墓。寺の周辺に館があった。熊谷市上奈良702。熊谷市指定史跡。
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29 上之村神社鳥居 |
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4代将軍徳川家綱の頃の寛文4年(1664)製の木造の鳥居である。神社は鎌倉時代の創建で大雷神社を合わせ祀っている。成田氏の上之の館に近く、室町時代に成田家時が再建した。熊谷市上之16。鳥居は熊谷市指定建造物で社殿は県指定建造物。
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30 忍領石標 |
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安永9年(1780)忍城主が16本の境界を示す石標を建てたが、元の位置にあるのはここだけという。「従是南忍領」と彫られている。熊谷市石原。県指定旧跡。
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