01 大手門通り |
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正面の大手門は樹齢100年の飫肥杉4本を使用した昭和53年(1978)の再建。市指定文化財。
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02 城内 |
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映画のロケにそのまま使えそうな雰囲気だ。
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03 旧本丸の石畳 |
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04 旧本丸石垣 |
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05 旧本丸礎石 |
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かつてここに門があったのだろう。
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06 旧本丸杉林 |
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本丸に地震で地割れが発生して元禄6年(1693)藩主御殿を新しい本丸(飫肥小学校グラウンド)に移転させてここを旧本丸と呼んだ。100年を生きた見事な飫肥杉が林立している。市指定文化財。
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07 松尾の丸 |
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旧本丸横の曲輪に昭和54年(1979)江戸初期の書院造りの御殿を再建。
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08 豫章館(よしょうかん) |
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最後の藩主14代祐帰(すけより)が明治2年(1869)に城内から移り住んだ御殿。屋根は茅葺きだったが、昭和初期に瓦葺きになった。飫肥9-1-2。市指定文化財。
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09 小村記念館 |
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小村寿太郎の記念館入口に胸像があった。残念ながら内部の撮影は不可。飫肥4-2-20。
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10 武家屋敷街 |
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大手門正面に向って右手の横馬場通りと呼ぶ上級家臣団の屋敷街。この一帯を昭和52年(1977)九州で最初の国重要伝統的建造物群保存地区に指定。
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11 服部亭 |
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武家屋敷街の横馬場通りにある。明治44年(1911)に飫肥杉で財を成した御用商人が贅を尽くして建てた。和の空間を中心に洋間もある豪邸。食事と休息が出来る。飫肥4-3-19。
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12 服部亭 |
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13 服部亭 |
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14 伊東伝左衛門家 |
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家老職の分家で石高150石の上級家臣の屋敷。飫肥4-4-1。市指定文化財。
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15 伊東伝左衛門家 |
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16 振徳堂 |
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幕末に近い天保2年(1831)に建てられた藩校。中小姓以上の7歳以上の藩士子弟に入校を義務付け、徒歩格以下は任意で入校出来た。明治初年には約350名が学び、小村寿太郎もここで学んだ。明治10年の西南戦争で西郷軍に呼応した飫肥隊の兵站部になって銃弾の製造が行われたこともある。飫肥10-2-1市指定文化財。
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17 振徳堂 |
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18 振徳堂 |
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19 旧山本猪平家 |
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飫肥杉を扱った山本が、隣接する小村寿太郎の生家跡を買い取って明治40年(1907)に建てた商家。飫肥5-2-26。市指定文化財。
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20 旧山本猪平家 |
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21 旧高橋源次郎家 |
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高橋は地元銀行頭取を勤めた県経済界の重鎮で貴族院議員を2期務めた。本町通りのほぼ中央に位置し、明治中期に茅葺きから瓦屋根に移行する初期の建築として国の登録有形文化財指定を受けた。日本画の襖絵や、孔雀が描かれた板戸などその価値は高い。飫肥5-2-12。
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22 旧高橋源次郎家 |
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23 旧高橋源次郎家 |
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24 商家資料館 |
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樹齢200年以上の飫肥杉を使って山林地主の山本五兵衛が明治3年(1870)に建てた土蔵造り商家。その後、金物店に使用されていたのを移築して資料館とした。飫肥8-1-19。市指定文化財。
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25 商家資料館 |
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26 商家資料館 |
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27 伊東家墓所 |
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伊東家の菩提寺、報恩寺は明治5年に廃寺になったが、五百祀(いおし)神社裏手に初代藩主祐兵から代々の藩主と一族の墓がある。日南市楠原地区。市指定史跡。
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28 本町商人通り |
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商人町である。電線を地中化したことで知られる。
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29 清武町 安井息軒旧宅 |
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寛政11年(1799)にここで儒学者、安井滄洲(やすいそうしゅう)の子に生まれた幕末の儒学者で、父と共に藩校、振徳堂で教えたのち江戸で「三計塾」を開いた。弟子に土佐の谷干城、紀州の陸奥宗光らがいる。神田湯島の幕府昌平坂学問所(昌平黌)の儒官に選ばれ、本人が驚いたとの逸話が伝わっている。清武の地は飫肥城下からは随分と離れているが、飫肥藩領である。宮崎市清武町加納甲3368-1。国指定史跡。
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30 清武町 安井息軒旧宅 |
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