01 競進社模範蚕室全景 |
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四つのやぐらが屋根にある。養蚕のための建物とひと目でわかる。全体の保存状態は極めて良好だが、雨戸などは板自体が薄くなってスライドさせるのが困難という。
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02 木村九蔵の胸像 |
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まだ設置されたばかりで平成25(2013)年11月10日に除幕式があった。
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03 蚕室 |
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空気の流れを考えた構造になっている。
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04 蚕室の床 |
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床下に火鉢を置いて部屋を暖めた。掘りごたつにすのこ状のふたがあると理解すればよい。
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05 蚕室の天井 |
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すのこ状にして温かい空気が二階蚕室に流れるようにした。
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06 床下の火床 |
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真ん中に火鉢がある。
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07 蚕室の火床と蚕棚 |
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08 火床の床下 |
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09 蚕棚 |
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10 二階蚕室 |
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往時はこの広い空間に蚕棚が並んだ。床が痛んでいるために立ち入ることは出来ず、二階に上がる梯子に乗って撮影した。
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11 織機 |
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12 足踏み座繰(ざぐり) |
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繭から糸をとる糸引器。繭を煮た鍋を台に載せて自転車を漕ぐようにして糸を巻き取る。大正~昭和に普及した。
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13 木鉢の繭 |
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蚕盆とも呼ぶ。
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14 繭毛羽取機(まゆけばとりき) |
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蚕が繭を作る時に最初に吐き出す真綿状の糸を取り除く機械。大正~昭和にかけて広く普及した。
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15 蔟折り機(まぶしおりき) |
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説明に「蚕が繭を作るための場の蔟をおる道具。二角式。藁を上からさしてハンドルを左右に倒して藁を折った」とある。蔟は国語辞典で「蚕を移し入れて繭を作らせる藁で作った道具」とあり、昔は蚕が巣を作る囲いを藁で編んだ。後には藁が段ボール製にとって代わられた。よく箱の中で饅頭が一個ずつ並んでいるが、その仕切りのことを蔟といった。(17, 23 参照)
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16 籾殻(もみがら)焼き煙突 |
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蚕座を乾燥させるために使った籾殻を蒸し焼きにする道具。
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17 繭かき用の道具 |
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説明に「回転蔟(かいてんまぶし)から蔟をはずし、一枚を四角の木枠にはめ込み、その上から蔟の縦横の枠数と同じ数の刃が付いた道具で上から押し付けて、繭を取りやすくした。木枠は回転蔟を組み立てる時の台にも使った」とある。
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18 蚕種紙 |
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蚕の卵を産み付けた紙。養蚕農家はこれを購入して孵化させ蚕を飼育、繭を生産した。渋沢栄一の伝記に「横浜では蚕種紙が高値で膨大な量が取引されたが、中には質の悪いものもあって値動きが激しかった」とある。
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19 桑切り包丁 |
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読んで字のごとく桑の葉を細かく切った。
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20 糸車 |
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糸繰車とも言った。よく時代劇に登場する。
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21 座繰 |
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繭から糸をつむぐ器具。横の取手を回して回転させる。
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22 桑切り機 |
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桑の葉を大量に裁断する時に使用した。
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23 回転蔟(かいてんまぶし) |
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蚕に繭を作らせるための器具。木枠の中に段ボール製の蔟を組み込んで天井から吊るした。回転させることで均一に繭が出来た。段ボールが普及する以前は藁を使用した。藁は一度しか使用出来ないが、段ボールだと何度でも使用出来た。
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24 繭缶 |
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乾燥した繭を出荷までブリキ製の大型缶に保管した。繭は湿気が大敵だった。
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25 明治44年の蚕室の写真 |
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26 記念写真 |
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前列に女性の姿があるから女性も学んでいたのだろう。前列中央の扇を手にした男性が木村九蔵と思われる。
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27 木村九蔵 |
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28 屋根のやぐら |
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幕末の頃、伊勢崎市島村地区の田島弥平が考案した空気を入れ替えるための高窓。弥平は空気の循環が蚕に欠かせないと考えた。この構造は一気に日本中に普及したと思われる。
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29 産業教育発祥の地 |
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競進社模範蚕室の真向かいの公園に碑がある。木村の養蚕伝習所が埼玉県の産業教育の始まりで、県で最初の農学校だった。これを記念した。
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30 高山社跡 |
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今、群馬県が世界遺産登録をめざす「富岡製糸場と絹産業遺産群」のひとつで木村九蔵の実家。現在の建物は長五郎の娘婿の武十郎が明治24(1891)年に清温育のモデルケースとして建て、実習を行う分教場に使用された。江戸末期の堂々とした長屋門も一見の価値がある。群馬県藤岡市高山236-1。
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