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2014年3月25日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 武蔵国カメラ風土記31 深谷の遺跡と出土品
 Ruins and Excavated Articles in Fukaya   New Work


埼玉県深谷市川本出土文化財管理センター「深谷市最新出土品展(3月1日~8月29日)」で、縄文時代から中世までの最近の発掘調査で出土した土器などを展示している。許可を得てそのままガラス越しに撮影して素人なりに歴史を考えた。

大昔の武蔵国は何本もの河川が流れて雨の度に氾濫する湿地帯が多かったが、それは土地を肥沃にもした。自然の恵みを得やすく縄文の頃から人々の営みがあった。深谷の地形は利根川と荒川の間に挟まれ背後に秩父山系の膨大な森林資源もある。建築用の巨木や、秩父長瀞の緑泥片岩の巨石も荒川を筏で流し、遺跡から海の魚類の骨も出土するから下流との交易もあった。

律令の時代には朝廷が大陸の先端技術を持つ渡来系氏族を多く入植させて牧畜も普及した。やがて騎馬を得意とする武士が出現、武蔵七党と呼ばれる武士団に成長して源平合戦に名を残した。その後、鎌倉、室町幕府の時代に領地を得て各地に赴任、代を重ねて戦国時代の武士団にその名が現れる。

東山道を通って奈良時代の郡役所「中宿遺跡」「幡羅遺跡」付近から利根川を渡ると上野国でその先は奥州である。深谷は当時の軍事上の要衝と言っていい。平安時代に八幡太郎源義家の子の義国は渡良瀬川沿いの上野国足利荘に荘園を持ち、次男の義康は足利源氏に、長男の義重は隣の太田荘で新田源氏の祖となった。源氏嫡流の源義朝は鎌倉を拠点としたが、弟の源義賢は深谷に近い嵐山町大蔵に館があった。深谷の周囲に当時最強の軍団がいた。

ついでながら、埼玉県鴻巣市の荒川沿いに、平将門と争った清和源氏の祖、源経基が東国の拠点とした城跡が残り、周辺には多くの源氏方の遺跡がある。


出土品の写真説明は深谷市教育委員会のパンフレットによる。

使用カメラ:ニコンD700, D800, D3200. レンズ:FX24mmf/1.4, 16-35mmf/4, 24-85mmf/3.5-4.5VR, 24-70mmf/2.8, 24-120mmf/4, 105mmf/2.8マイクロ, 70-200mmf/4.

参考サイト

深谷市川本出土文化財管理センター(深谷市菅沼1019)
http://www.city.fukaya.saitama.jp/kanko/rekishi/bunkazai/1391479237982.html

深谷市遺跡データベース
http://iseki-database.city.fukaya.saitama.jp/iseki_database.html

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01 展示室

02-15 展示室の出土品



02 縄文土器 五反畑遺跡。平成20年に4,000年ほど前の竪穴建物跡が発掘された。

03 縄文土器の文様 五反畑遺跡。

04 上「五輪塔」下「石臼」 下郷遺跡。平成21~22年に古墳時代から中世にかけての遺跡を発掘。幡羅郡役所と関係がある可能性がある濠跡が付属する中世の城館跡を確認。

05 石匙 台耕地遺跡。平成21年に縄文前期の竪穴建物跡から多数の打製石斧等を発掘。

06 板碑 下郷遺跡。板碑は鎌倉時代に数多く出現、秩父長瀞の緑泥片岩を使った板石塔婆または青石塔婆と呼ばれる物が多い。

07 埴輪官墓 森下遺跡。古墳時代から平安時代の遺跡で平成19年の発掘。円墳2基の一つから出土、3個の円筒埴輪からなる貴重なもの。

08 土師器鉢 下郷遺跡。土師器を制作していたらしく、平安時代の粘土採掘抗が確認された。

09 深鉢 上本田遺跡。縄文から近世にかけての遺跡で縄文中期の大規模集落跡がある。

10 土師器甕 上敷免森下遺跡。平成24年の発掘で弥生時代の竪穴建物跡などが出土。奈良時代の神社と思われる遺構もある。

11 土師器甕 上敷免森下遺跡。古墳時代中期の甕。

12 縄文土器 上敷免森下遺跡。

13 土師器杯 北原遺跡。平成23年の調査で縄文~飛鳥時代の竪穴建物跡が発掘された。この土器杯は飛鳥時代。

14 土師器杯 北原遺跡。飛鳥時代の土師器杯。

15 縄文土器 北原遺跡。

16 巫女の埴輪 深谷市岡の白山古墳群出土。川本出土文化財管理センターで保管。

17 琴を弾く男子埴輪 深谷市岡の白山古墳群出土。古代社会で琴は神聖な楽器のひとつ。川本出土文化財管理センターで保管。

18 男子人物埴輪 普済寺遺跡。武士団の猪俣党の岡部六弥太の館があった場所で曹洞宗の普済寺がある。

19-25 幡羅遺跡の発掘現場
    現在も断続的に発掘中。



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26 はら君 幡羅遺跡から発掘されたカマドの神を表すと推定される石像。

27 幡羅遺跡の現況 発掘後は埋め戻されて畑に戻る。

28 浅間山古墳 本庄市に近い一帯に四十塚古墳群と呼ぶ50 余基に及ぶ古墳があったが現在この1基だけ残った。浅間神社が祀られている。

29 寅稲荷古墳 六世紀末の前方後円墳。旧岡部町岡地区に多数の古墳があったが、多くは昭和初期の開拓で姿を消した。頂上に寅稲荷神社が鎮座する。

30 中宿遺跡 奈良時代の郡役所跡に復原された正倉。深谷市岡3286-2。

31 正倉の公開 2013年12月8日に遺跡の説明会があった。

32 畠山重忠と一族墓 重忠は和歌や音曲などの教養も身に付けた鎌倉武士を代表する武士で深谷を代表する武人でもある。北条氏に謀殺され、真ん中の五輪塔が重忠の墓。深谷市畠山の畠山重忠公史跡公園内。

33 国済禅寺土塁 室町時代に足利将軍家の縁戚の上杉憲英が庁鼻和(こばなわ)城を築造、城内に国済禅寺を建立して憲英らの墓があるが、その隣に城の土塁がある。深谷市国済寺521。

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