大正6(1917)年、海軍を退官した中島知久平が故郷の群馬県太田市に飛行機製作所を設立、のちに「中島飛行機製作所」に発展して戦闘機「隼」を開発生産したが、この製作所が現在の富士重工業(スバル自動車)である。その中島が両親のために敷地面積が10,000㎡(およそ3,000坪)を超えるという邸宅を建てた。利根川のすぐわきで、川の氾濫を想定して床を高くした家だ。当時は度々の水害に悩まされた地域だった。
平成20(2008)年度の調査で主屋に昭和5(1930)年築の棟板が確認された。中島が衆議院選挙に初当選した年だ。時代は昭和恐慌の混乱期で翌年の昭和6(1931)年9月には満州事変が起きた。その時代に当時のお金で100万円をかけて建設したと言う。応接間の大理石の暖炉や寄木造りの床やステンドグラスなど、贅を尽くした建物である。
素人の勝手な推測だが、建設は「お助け普請」だったかも知れない。近江商人の旦那衆は不景気な時にあえて豪華な建物を建て、職人の仕事を確保した。いわば個人による公共工事である。昭和6(1931)年には埼玉県深谷宿でも地元の素封家、大谷家がお助け普請で和洋折衷住宅(国登録有形文化財)を建設、人々は大いに助かった。太田市のパンフレットには昭和6(1931)年の大阪城の再建は約47万円を要したが、これと比較して100万円という金額がいかに巨額であったかという説明がある。
外観は和風で玄関を入った所に洋間の応接間、その奥に和室の客間や両親の部屋があるが、戦後、米軍に接収されて一部改築された。現在、公開されているのは応接間のみで、和室他は修復工事中。
ついでながら、太田市は源氏の新田義貞の出身地で、隣の足利市からは足利尊氏が出た。中世の山城「金山城」や、徳川家が発祥の地だとした「世良田東照宮」など、歴史ファンにとって見るべき所が多い。車で利根川の新上武大橋を渡ると埼玉県深谷市の渋沢栄一「論語の里」や、熊谷市の国宝「妻沼聖天宮」が20分程の距離にある。利根川を挟んだ両側は歴史の宝庫と言って過言でない。
太田市押切町1417。太田市指定建造物。
使用カメラ:ニコンD800, D3200. レンズ:FX 16-35mmf/4G, 24-85mmf/3.5-4.5G VR, 70-200mmf/4G.
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01 表門 |
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02 屋根瓦の家紋 |
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03 門の欅の一枚板 |
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04 玄関車寄 |
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05 玄関広間 |
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06 応接間(1) |
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07 大理石の暖炉 |
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08 暖炉の電気ストーブ |
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09 豪華な壁紙 |
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10 応接間(2) |
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11 調度品 |
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12 家具の家紋 |
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13 モザイク文様の床 |
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14 廊下から見た応接間(2) |
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15 窓 |
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16 ステンドグラス(1) |
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17 ステンドグラス(2) |
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18 ステンドグラス(3) |
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19 廊下 |
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20 廊下のモザイク文様の床 |
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21 中庭 |
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22 客室棟 |
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23 団体見学者 |
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24 室内から見る庭 |
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25 高い床下 |
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26 両親居間 |
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27 建物全景 |
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28 塀 |
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29 蔵 |
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30 コスモス畑と塀 |
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