01-08 高麗神社
奈良時代の元正天皇霊亀2(716)年、朝廷は甲斐、駿河、上総、下総、常陸、下野7か国の高句麗人1,799名を入植させて高麗郡を置き、開発に従事させた。郡長になった若光の死後、高麗明神として祀った。日高市新堀833。
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01 将軍票 |
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しょうぐんひょう・チャンスン。朝鮮半島の古い風習で魔除けという。日本にも村の入り口に恐ろしげな人形を置いて魔除けとする風習は数多くある。平成4(1992)年に大韓民国民団埼玉県地方本部が奉納。
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02 将軍票 |
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03 将軍票 |
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04 鳥居 |
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時折、七・五・三の親子がお参りに訪れていた。
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05 鳩山一郎の献木 |
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説明によると浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが参拝したあとに総理大臣になったことから「出世明神」と呼ばれるようになった。
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06 神主さん |
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社殿を撮影しようとしたら、偶然、神主さんが通りかかった。
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07 門の扁額 |
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高と麗の間に小さく「句」の字がある。あたかも遠慮して「句」の字があるようだが、この字があっても呼び名は「こま神社」。神社本殿は県指定建造物。
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08 「高麗王」の酒樽 |
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09-23 聖天院勝楽寺 (しょうでんいんしょうらくじ)
若光の菩提を弔うため、若光が祖国から請来した念持仏の歓喜天 (聖天尊) を本尊に侍念僧の勝楽が開いた。戦国時代の天正8(1580)年に法相宗から真言宗に改宗し、歓喜天を秘仏にして新たに不動明王を本尊とした。日高市新堀990-1。
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09 聖天院遠景 |
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10 聖天院の将軍票 |
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11 聖天院の将軍票 |
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12 雷門 (山門) |
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江戸時代後半の天保3(1832)年の銘がある。市指定建造物。
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13 遠足の園児達 |
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14 雷門の雷神像 (向かって左側) |
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15 雷門の風神像 (向かって右側) |
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16 雷門天井絵 |
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17 高麗王「若光」の廟 |
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市の説明では現在の石塔は鎌倉時代のもので一部が欠けているという。市指定史跡。
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18 羊の石像 |
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19 高麗殿池 |
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20 阿弥陀堂 |
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堂内は中世の禅宗様式を持ち、およそ300年前の建造。市指定建造物。
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21 阿弥陀堂の観音菩薩像 |
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前住職のお話では来歴や製作年代は不明というが、かなり古そうだ。摩耗しているがお顔の輪郭はかろうじてわかる。全体に気品を感じ、とても美しい。許可を得て撮影させてもらった。
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22 本堂 |
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平成12(2000)年築。建設に7年を要したという。高麗郷を一望出来る高台にある。
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23 八角亭と慰霊塔 |
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本堂のさらに奥にある。高句麗から移住してこの地を開発した先人と、第二次大戦で亡くなった多くの同胞達の霊を慰めるため、在日の信者の人々が祖国の建材を使用して施工した。中学の教科書で習ったと記憶する4~5世紀の高句麗の王、広開土大王や、新羅の太宗武烈王らの石像もある。
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24-31 高麗郷古民家
旧新井家住宅。平成26(2014)年4月に国登録有形文化財に指定。日高市高麗本郷245。
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24 母屋 |
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25 客殿から母屋を見る |
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26 客殿 |
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27 客殿の座敷 |
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28 母屋の座敷 |
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29 母屋の座敷 |
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30 土間の空間 |
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31 土間のカマド |
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32 巾着田曼珠沙華公園 |
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古民家から道路を挟んで田畑が広がる先に曼珠沙華で知られる巾着田がある。一帯はかつて渡来人が開発した所とされ、毒素があり、ネズミやモグラの被害を防ぐために植えられた。9~10月の最盛期は人と車で大混雑するという。今、花は終わったが緑の空間もまた素晴らしい。日高市高麗本郷125-2。
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