01-11 太田金山城
国指定史跡。群馬県太田市金山町40。
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01 大手虎口の石垣 |
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尾根通りに石垣が連なる典型的な中世の山城。天空の城として大人気の兵庫県朝来市の竹田城、岡山県高梁市の備中松山城とも良く似ている。ちなみに松山城主の板倉氏は足利氏の係累とされる。
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02 石畳 |
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03 古い石垣 |
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04 日ノ池 |
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籠城の際は水の確保が決め手になるが、山城に石を敷き詰めたこのように大きな池があるのは珍しい。池のそばから井戸跡も出土した。築城する以前は水に関る祭祀が行われていた場所と見られている。
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05 月ノ池 |
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もうひとつの池。日ノ池と同様石敷き。
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06 月ノ池 |
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07 山頂曲輪の紅葉 |
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08 紅葉とハイカー |
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09 中島知久平像 |
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戦前、太田市にあった中島飛行機の創業者の像。丹羽 諭 Web-ProPhoto写真展「中島知久平邸」参照。
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10 山頂の新田神社 |
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11 物見台付近から見る太田市街 |
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12-27 足利学校
国指定史跡。栃木県足利市昌平町2338。
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12 学校全景 |
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周囲を堀で囲って土手を築いている。城郭のようだ。
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13 学校門と銀杏の紅葉 |
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14 ゆるキャラの「たかうじ君」 |
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撮影に行った日に、たまたま出会った。かぶっているのは学校門と、足利尊氏の兜をかたどった帽子だとか。
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15 杏壇門 |
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孔子廟入口の門。
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16 木造孔子坐像 |
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室町時代、天文4(1535)年の作。県指定文化財。
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17 木造小野篁坐像 |
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江戸時代、延享3(1746)年の作。平安時代の天長9(832)年に文人で公家の小野篁が学校を創建したという説がある。市指定文化財。
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18 方丈全景 |
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講義や学習を行った学校の中心となる建物。
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19 南庭園 |
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方丈の前の築山泉水の庭。江戸時代中頃の絵図をもとに復原。
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20 方丈室内 |
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21 方丈外廊下 |
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22 上杉憲実像の模刻 |
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室町幕府、関東管領の憲実が永享11(1439)年頃に鎌倉円覚寺から僧、快元を招いて庠主(しょうしゅ・学長)とし、国宝に指定された書籍を含めて多数の書籍を寄贈して学校の再建に尽力した。この像の実物は新潟県南魚沼市塩沢町の上杉景勝、直江兼続が学んだ「雲洞庵」にある。憲実は足利学校中興の祖とされている。
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23 書籍の虫干し |
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24 国宝の宋版「礼記正義 (らいきせいぎ)」の複製本 |
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説明によると、中国の周末から前漢時代の礼儀作法、理想的な政治のありかたなどを説いた書で、正義は正しい注釈という意味。
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25 北庭園 |
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南庭園より古い庭園、江戸中期の姿に復原。
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26 衆寮(しゅりょう) |
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学徒が生活し、勉学に励んだ部屋。
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27 代々の庠主(しょうしゅ)の墓 |
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「庠」とは学校を意味する。上杉憲実が鎌倉円覚寺から快元(かいげん)を招いて庠主(校長)とした。墓石が17基ある。
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28 足利尊氏像 |
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学校の隣にある鑁阿寺参道の小公園に平成3(1991)年に建てられた。
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29-32 鑁阿寺(ばんなじ)
足利市家富町2220。
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29 本堂 |
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足利源氏2代の義兼が創建した足利一門の氏寺。大正11(1922)年に国史跡の指定を受け、平成25(2013)年に本堂が国宝に指定された。義兼は源頼朝の従兄弟で、頼朝の旗揚げの際にいち早く馳せ参じ、新田家初代の義重は参陣が遅れて頼朝の不興を買った。義兼は北条時政の娘、時子を妻に迎えて幕府内で重きをなすが、このことが後々まで足利氏と新田氏の間に不協和音を生む要因になったという。
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30 本堂と紅葉 |
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31 境内の紅葉 |
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32 多宝塔と銀杏 |
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多宝塔は県指定文化財。
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