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2015年1月8日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 京都二条城   Nijo Castle (Nijo-jo) in Kyoto   New Work


昨年12月末日、二条城に立ち寄った。現在の二条城は関ヶ原合戦の翌年の慶長6(1601)年、朝廷と大坂方の監視と上洛の拠点に、徳川家康が西日本の諸大名に命じて築城した。2年後の慶長8(1603)年には二の丸が竣工、家康は同年に征夷大将軍の宣旨を受け、2代秀忠の娘、千姫を大坂の豊臣秀頼に嫁がせている。

慶長16(1611)年、家康は二条城で、加藤清正らに伴われた秀頼17歳と、亡き秀吉の妻の高台院の立会いで面会、成長した秀頼を見た家康は豊臣氏打倒を決意したと言う。慶長19(1614)年11月の大坂冬の陣は二条城から出陣、翌、元和1(1615)年の夏の陣で豊臣家を滅亡させた。

家康は、元和2(1616)年4月に駿府で世を去る(享年75)以前に朝廷の懐柔と利用も図っていた。秀忠は元和6(1620)年6月に娘の和子を後水尾天皇に入内させ、その行列は二条城から御所に向かい、寛永3(1626)年9月の後水尾天皇の二条城行幸は5日間にもわたった。さらに寛永11(1634)年7月の3代家光の上洛は、なんと空前の30万人という大行列が東海道を上って二条城に入った。家光の朝廷に対する示威運動である。

幕末、二条城は再び政局の舞台になった。慶応2(1866)年の第二次長州征伐の際、大阪城で14代将軍家茂が死去して徳川慶喜が二条城で15代将軍に就任、公武合体がなるかに見えた。ところが、慶応3(1867)年10月14日、岩倉具視と大久保一蔵が画策してひそかに討幕の密勅を薩長両藩に下賜、同日に慶喜は二条城大広間に在京諸藩の重臣らを集めて大政奉還を表明、徳川幕府は実質的に崩壊した。渋沢栄一が慶喜の命で慶喜の実弟の徳川昭武に随行してパリ万博に出張していた最中のことで、密勅は偽物とする説もあり、真相は不明。

二の丸御殿の各部屋に、幕府御用絵師の狩野探幽らが描いた桃山時代を彷彿とさせる3,000面以上の障壁画がある。昭和57(1982)年にその内の1,016面が重要文化財の指定を受けた。ただし、見学は出来るが、御殿内部の撮影は残念ながらすべて不可。二条城全体は国史跡、二の丸御殿は国宝、二の丸庭園は特別名勝の指定を受け、さらに平成6(1994)年にユネスコの世界遺産に登録された。

使用カメラ:ニコンD610. レンズ:FX28-300mmf/3.5-5.6G VR



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01 東南隅櫓 寛永年間建造の隅櫓。

02 二の丸土蔵 北大手門から入った収蔵館前の土蔵。


03-11 唐門
二条城を象徴する二の丸御殿の門。寛永3(1626)年9月の後水尾天皇の行幸でその前年に建造、木部はすべて欅材で屋根は檜皮葺き。桃山時代を彷彿とさせる37個あるという極彩色の彫刻が素晴らしい。最近では平成23-25(2011-13)年に保存修理を実施。

03 唐門

04 唐門「鶴の彫刻」

05 唐門「唐獅子の彫刻」

06 唐門「唐獅子の彫刻」

07 唐門「唐獅子の彫刻」

08 唐門「鳳凰の彫刻」

09 唐門「菊の紋章」 昭和と平成の修理で菊の紋章を取り外したところ、下に葵紋が発見された。

10 唐門「菊の紋章と仙人像」

11 唐門の門扉


12-21 二の丸御殿
現存する城郭内の御殿。車寄(玄関)、大名の控えの間で家康と秀頼が面会した「侍」(とおざむらい)、老中との面会に使用された「式台の間」、将軍が大名と対面した「大広間」の他、「黒書院」や将軍の居間に使用された「白書院」など6棟が現存、狩野派の障壁画が圧巻だが、撮影は不可。

12 二の丸御殿 正面の車寄は牛車で入れるようになっているという。

13 正面の欄間の彫刻

14 正面の欄間の彫刻

15 正面の欄間の彫刻

16 庭園から見る二の丸御殿

17 御殿の障子

18 御殿の障子

19 御殿の障子

20 外廊下床の年輪

21 二の丸庭園 桃山様式の小堀遠州の代表作。たまたまアオサギだろうか、じっと池を睨んでいた。


22-29 本丸
本丸御殿は天明8(1788)年に火災で焼失、幕末の一時期は慶喜の居室があった。現在の本丸御殿は京都御苑の旧桂宮邸を明治26-27(1893-94)年に移築。耐震基準に満たないため、非公開。

22 本丸櫓門 本丸の入口の門。

23 本丸櫓門わきの石垣

24 本丸御殿の御常(ごじょう)御殿

25 天守台跡から見る本丸御殿全景 江戸初期の五層の天守閣は寛延3(1750)年に落雷で焼失。天守台跡から現在の本丸御殿の全景が俯瞰出来る。

26 内堀の石垣と松 さながら障壁画のようだ。

27 西北土蔵

28 北中仕切門 本丸から昭和の庭園「清流園」に出る門。

29 北中仕切門の門扉

30 清流園「香雲亭」 昭和40(1965)年、江戸時代の豪商、河原町二条の旧角倉了以の屋敷から建物と庭石を無償で譲り受け移築、さらに全国から銘石の寄贈を受けて園が造られた。江戸時代は幕府同心の屋敷が並んでいた所という。

31 夕方の二の丸土蔵

32 北大手門 通常は東大手門が入口だが、補修工事中のため、現在はこの北大手門から出入りする。

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