01 旧栃木町役場 |
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明治17(1884)年まで栃木県庁が置かれていたが、宇都宮に転出、その跡地に大正10(1921)年、町役場を建てた。最近まで市役所別館として使用。国登録有形文化財。〔栃木市入舟町7-31〕
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02 山本有三文学碑 |
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「路傍の石」「真実一路」「米百俵」などを著した文豪、山本有三は、明治20(1887)年に市内の呉服商の家に生まれ、東京第一高校の同級生に芥川龍之介、土屋文明、菊池寛らがいる。この碑は山本が学んだ小学校、現在の栃木中央小学校わきにある。〔栃木市入舟町6-8〕
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03 巴波川(うずまがわ) |
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市中心部の「蔵の街大通り」に平行して流れる物流の大動脈だった。川の反対側の蔵は材木回漕問屋の塚田屋。現在は「塚田歴史伝説館」として内部を公開中。
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04-08 横山郷土館
明治時代に麻問屋と銀行を営んだ横山家の建物。両側に、大谷石より耐久性に優れるという鹿沼産の深岩石(ふかいわいし)の蔵がある。現在は休館中。国登録有形文化財。〔栃木市入舟町2-16〕
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04 店舗と蔵 |
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05 店舗正面 |
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06 店舗の外灯 |
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07 深岩石を使った蔵 |
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素人目に大谷石と区別が付かない。
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08 荷揚場 |
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船荷の積み降ろしをした所。
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09-10 とちぎ蔵の街観光館
明治37(1904)年築の荒物、麻苧(あさお)問屋の蔵(見世蔵)で、市の観光の拠点。麻芋は麻の繊維を原料にした麻糸のこと。市指定文化財。〔栃木市万町4-1〕
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09 建物外観 |
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10 赤松の大きな梁 |
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11 ゆるキャラ「とち介」 |
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蔵の妖精だとか。
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12-16 山本有三ふるさと記念館
生家の隣りにあるふたつの蔵をつなげて記念館にした。国登録有形文化財。〔栃木市万町5-3〕 東京三鷹市で山本が約10年間を過ごした洋館も「三鷹市山本有三記念館(三鷹市指定文化財)」として公開されている。〔東京都三鷹市下連雀2-12-27〕 山本の「米百俵」は戊辰戦争で敗れた越後の長岡藩が救援の米で学校を設立した逸話で、小泉内閣の時、首相が所信表明演説にその故事を引用して話題になった。
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12 建物外観 |
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13 蔵の窓 |
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ふたつの建物をつなげたために家の中にこの窓がある。
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14 展示室 |
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15 山本の写真と床の間。 |
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16 映画のポスター |
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山本の小説が映画化されたポスター。
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17-18 塚田歴史伝説館
かつての回漕問屋「塚田屋」の建物が公開されているが、蔵の中は撮影禁止だった。国登録有形文化財。〔栃木市倭町2-16〕
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17 塚田屋の座敷と庭園 |
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18 塚田屋の蔵 |
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19 とちぎ蔵の街美術館 |
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善野家(ぜんのけ)の土蔵、通称「おたすけ蔵」を美術館にした。善野家は近江守山出身の近江商人で失業対策に蔵を建てたと伝わる。東蔵(写真右側)が文化年間(1804~1818)初期、中蔵が天保2(1831)年以前、西蔵が天保11(1840)年の建築で、栃木市最古の土蔵群という。市指定文化財。〔栃木市万町3-23〕 隣にとちぎ山車会館がある。〔住所同じ〕
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20 下野新聞社 |
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下野新聞社の前身は明治11(1878)年創刊の「杤木新聞」。明治17(1884)年、県庁が宇都宮に移転、新聞社も移転して現在の下野新聞社になった。肥料・麻苧商の「毛塚惣八」が文久元(1861)年に建てた蔵を支局にしている。国登録有形文化財。〔栃木市万町7-5〕
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21-24 とちぎ歌麿館
弘化2(1845)年建築の「古久磯提灯店」を歌麿の資料館にし、精密な複製画を展示する。県指定建造物。〔栃木市万町7-1〕
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21 外観 |
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22 「品川の月」複製画 |
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桜田門外の変で井伊大老を暗殺した水戸浪士、御殿山に建設中の英国公使館を焼き討ちした長州の高杉晋作、伊藤博文らが出入りした品川の通称「土蔵相模」と呼ばれる旅籠を描いた作品。
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23 「品川の月」の女性 |
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24 「古久磯提灯店」の暖簾 |
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25-26 好古壱番館
大正12(1923)年、呉服商(旧安達呉服店)が建てた洋風建築で国登録有形文化財。現在は蕎麦屋さん。〔栃木市万町4-2〕
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25 外観 |
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26 ステンドグラス |
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27 日光例幣使街道(嘉右衛門町) |
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京都から中山道を通って倉賀野(高崎)、太田、栃木を抜けて勅使が日光に向った道。国選定重要伝統的建造物群保存地区。
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28-34 代官屋敷「岡田記念館」
岡田家は戦国時代に関東管領上杉憲政に仕えてから現当主で26代を数え、慶長の頃にこの地に移住して開発した。江戸時代に高家旗本の畠山氏が領主になると13ヶ村を束ねる陣屋が岡田家の屋敷内に設けられ、幕末には代官職をも代行した。国登録有形文化財。〔栃木市嘉右衛門町1-12〕 ちなみに高家旗本とは幕府が吉良、畠山、今川、北条、新田岩松などの名族を、式典を司る家柄とした制度で、知行が3,000~5,000石程度でも家格は高い。
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28 陣屋の門 |
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29 玄関 |
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30 鎧 |
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武具を展示。
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31 陣羽織 |
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畠山氏は足利氏の一族、家紋に足利氏の家紋「二つ引両」を用いた。
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32 徳川斉昭の書 |
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斉昭は幕末の9代水戸藩主。15代将軍、徳川慶喜の父親で幕末史の重要人物。ガチガチの攘夷論者で横浜開港に至る幕政を批判、攘夷の即実行を主張して止まず、大老井伊直弼に逼塞を命じられ、安政の大獄、桜田門外の変へとつながった。
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33 火縄銃 |
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34 畠山陣屋の座敷 |
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35-40 翁島の岡田家別荘
大正13(1924)年、関東大震災の翌年に22代の当主が銘木を集めて贅を極めて建てた和風建築。岡田記念館からは道路を隔て、2~3分の所にある。国登録有形文化財。〔栃木市小平町1-23〕
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35 建物外観 |
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36 一階座敷 |
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37 一階廊下 |
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欅の一枚板の廊下。
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38 二階座敷 |
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39 二階のガラス戸 |
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40 一階の風呂場 |
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映画のロケに使われることもあるとか。
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41-42 町の歩道の化粧タイル
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41 巴波川のタイル |
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42 蔵のタイル |
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43 山本有三の墓 |
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山本有三ふるさと記念館の裏手、近龍寺の墓地。
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