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2015年12月14日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 沼田城   Numata Castle   New Work


戦国時代の沼田城は、越後上杉、甲州の武田、小田原北条氏が互いに攻防を繰り返し、天正8(1580)年、武田配下の真田昌幸(まさゆき)が掌中に治めた。真田氏は信州上田の真田郷を本貫とする武士団だ。天正10(1582)年、武田は滅びたが、昌幸は織田、北条、上杉、豊臣、徳川と次々と主家を代えて生き延びた。

天正11(1583)年、昌幸は上田城を築城した。天正13(1585)年に城を攻めた家康は、手痛い敗北を喫している(第1次上田合戦)。だが、天下を秀吉がほぼ統一、昌幸も家康も秀吉に臣従する。天正18(1590)年には秀吉の小田原攻めで北条氏も滅亡、沼田城は上田城と共に真田氏の城と公認された。

昌幸は次男の幸村と上田城を居城とし、沼田城に嫡男の信之(のぶゆき)を置いた。信之は徳川に仕えたが、家康は昌幸を「表裏の者」と呼んで警戒していた。信之は正室をあえて側室に直し、徳川四天王の一人、本多忠勝の娘「小松姫」を正室に迎えている。

慶長5(1600)年の関ヶ原合戦で、信之は家康の東軍側にいたが、上田城の昌幸、幸村は三成の西軍に味方、籠城する作戦を取った。上田城を攻めた徳川の軍はまたもや敗北したが(第2次上田合戦)、関ヶ原合戦は東軍が勝利した。信之は徳川への忠誠を賞され沼田に加えて上田城も得る。本貫の地を安堵されたのだから、ホッとしたであろう。昌幸と幸村は信之の必死の嘆願で死を免れたが、和歌山九度山に幽閉され、昌幸は慶長16(1611)年、九度山で波乱万丈の生涯を閉じた。

慶長19(1614)年と翌年の大阪の陣も信之は徳川方で戦い、豊臣に味方した幸村は討死、豊臣氏は滅亡した。戦功を認められて信之は元和8(1622)年に上田から信州松代に転封、松代藩10万石の祖になった。その後の上田城には仙石氏、のちに松平氏が入っている。

沼田城は信之の長男、信吉が3万石で相続したが、天和元(1681)年、5代、信利の時に改易の処分を受け、城はすべて破却された。沼田は天領になっていたが、その後、本多、黒田、土岐氏が藩主になって明治を迎えた。現在は沼田公園となっている。市指定史跡。沼田市西倉内町594。

取材は2015年12月9日。以前、桜の時期に沼田城を撮影しているので、その写真も加えて構成した。
使用カメラ:ニコンD610, D750. レンズ:FX AF-S 18-35mm f/3.5-4.5G ED, AF-S 24-85mm f/3.5-4.5G ED VR, AF-S 70-200mm f/4G ED VR, AF-S 80-400mm f/4.5-5.6G ED VR.

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各作品の著作権はすべて撮影者に帰属します。
二次使用は固くお断りいたします。







01-10 沼田城趾
西倉内町594 沼田公園内。

 01 城内の鐘楼(復元) 沼田を象徴する風景。寛永11(1634)年、2代藩主、信吉が城鐘を鋳造。明治時代は旧沼田町役場敷地内に鐘楼があった。城鐘の実物は東倉内町の中央公民館に展示、県指定文化財。

 02 久米民之助の胸像 明治になって城跡が荒廃、旧沼田藩士の家庭に生まれた久米が私財で城跡を購入して整備、大正15(1926)年に市に寄贈した。久米は土木技術者で、皇居、二重橋の建造に携わり、衆議院議員も務めた人物。

 03 西櫓台の石垣 推定樹齢400年という桜の古木がある。

 04 石垣

 05 石段 発掘調査で発見された真田氏時代の石段。

 06 櫓台脇の堀切

 07 発掘された本丸濠跡 平成27(2015)年、発掘調査が行われた。

 08 石垣と栗石 真田氏時代、石垣の高さは約6メートルあったと推定される。栗石には水はけを良くする役割がある。

 09 城内の広場

 10 土塁跡


11-17 旧土岐家住宅
最後の藩主、土岐家の大正13(1924)年建築の洋館。平成2(1990)年に東京渋谷から現在地に移築。国登録有形文化財。西倉内町594 沼田公園内。

 11 外観 11-16は2009年4月の桜の時期に撮影。

 12 2階窓

 13 日本間

 14 1階ガラス戸

 15 洋風客間

 16 ステンドグラス

 17 建物裏手


18-23 旧生方(うぶかた)家住宅
沼田藩御用の薬種商の住宅。国指定文化財。西倉内町594 沼田公園内。

 18 外観

 19 店内

 20 外壁

 21 2階の格子

 22 1階の軒

 23 窓

24 武道場 昭和31(1956)年建築。旧生方家住宅の裏手。西倉内町650。


25-27 旧沼田小学校講堂記念体育館
大正元(1912)年の建築で武道場の隣り。西倉内町650。

 25 旧沼田小学校講堂記念体育館

 26 旧沼田小学校講堂記念体育館

 27 旧沼田小学校講堂記念体育館


28-30 旧日本基督教団沼田教会紀念会堂
大正3(1914)年に生糸貿易で財を成した星野光多が建てた。昭和63(1988)年、現在地に移築。国登録有形文化財。西倉内町634。

 28 旧日本基督教団沼田教会
    紀念会堂

 29 旧日本基督教団沼田教会
    紀念会堂

 30 旧日本基督教団沼田教会
    紀念会堂

31 正覚寺「大蓮院殿の宝篋印塔」 信之の妻、小松姫の墓。元和6(1620)年、病で草津に療養に行く途中、中山道鴻巣宿で病没、48歳。墓は鴻巣の勝願寺と、この正覚寺、上田の芳泉寺に分骨された。市指定文化財。鍛治町938。


32-34 天桂寺「真田河内守信吉」墓


 32 真田河内守信吉の宝篋印塔 信之と小松姫の嫡子で2代藩主の信吉の墓。市指定文化財。材木町144。

 33 墓石に「滋野朝臣」の名 真田氏は信濃の小県郡や佐久郡の名族「滋野氏」の一族と言い、同族に海野氏、禰津氏、望月氏などの名がある。

 34 本堂屋根の六文銭 云わずと知れた真田の六文銭。三途の川を渡る時に必要と言われた。

35 鐘楼の夕景

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