01-04 旧時報鐘楼
鐘楼は戦時中の金属供出と戦災で破損していた。寄贈した小林の会社は関東大震災で横浜から神戸に移転、香辛料を扱う小林桂株式会社として今も続いている。曲輪町28-23。市指定重要文化財。
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01 旧時報鐘楼 |
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02 旧時報鐘楼 |
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03 旧時報鐘楼 |
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04 旧時報鐘楼 |
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05-20 いせさき明治館
平成14(2002)年、元の場所から約100m曳き家して現在地にある。曲輪町31-4。市指定重要文化財。
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05 いせさき明治館「建物正面」 |
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06 いせさき明治館「建物側面」 |
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07 いせさき明治館「正面2階」 |
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08 いせさき明治館「受付」 |
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昔懐かしい医院の受付。
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09 いせさき明治館「棟板」 |
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10 いせさき明治館「照明」 |
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11 いせさき明治館「織機」 |
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12 いせさき明治館「伊勢崎銘仙」 |
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13 いせさき明治館「伊勢崎銘仙」 |
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14 いせさき明治館「伊勢崎銘仙」 |
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15 いせさき明治館「伊勢崎銘仙」 |
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16 いせさき明治館「組子の欄間」 |
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17 いせさき明治館「ポスター」 |
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モデルは往年の大女優「山本富士子」。
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18 いせさき明治館「階段の吊るし雛」 |
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19 いせさき明治館「ガラス窓」 |
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20 いせさき明治館「2階座敷」 |
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21-36 旧森村家住宅
森村家は江戸以前からの旧家と伝えられる。明治9(1876)年に伊勢崎藩陣屋の建物を一部移築。連取町377-1。市指定重要文化財。
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21 旧森村家住宅「長屋門」 |
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22 旧森村家住宅「主屋全景」 |
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23 旧森村家住宅「式台」 |
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陣屋から移築した正面玄関。
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24 旧森村家住宅「土蔵」 |
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25 旧森村家住宅「土蔵」 |
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26 旧森村家住宅「荷車」 |
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車輪は木製。
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27 旧森村家住宅「主屋の彫刻」 |
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28 旧森村家住宅「座敷と廊下」 |
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29 旧森村家住宅「板戸」 |
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30 旧森村家住宅「板戸」 |
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31 旧森村家住宅「書院」 |
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32 旧森村家住宅「ガラス戸」 |
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33 旧森村家住宅「ガラス戸」 |
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34 旧森村家住宅「ガラス戸」 |
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35-36 旗本「駒井甲斐守朝温」の写真
駒井家の幕末の当主。大目付、勘定奉行、陸軍奉行並などを歴任して、維新後、将軍慶喜に従い静岡に移住した。朝温の次男、忠道は、薩長への徹底抗戦を唱えた幕閣の重鎮、小栗忠順(ただまさ)の養子になっていたため、官軍に高崎権田村で小栗と共に斬首された。小栗は幕末に横須賀造船所(製鉄所)を建設、明治5(1872)年の渋沢栄一と尾高惇忠、韮塚直次郎の富岡製糸場建設は、この造船所建設の経験が幸いしている。
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35 旧森村家住宅 「駒井甲斐守朝温」 |
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36 旧森村家住宅 「駒井甲斐守朝温の軍服姿」 |
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将軍慶喜は、伝習隊など幕府軍に、フランス軍事顧問団の訓練を受けさせた。
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37-39 相川考古館
幕末の慶応2(1866)年、金物商に生まれた相川之賀(しが)が収集した多くの考古資料と、国指定重要文化財の埴輪4体を展示。県指定重要文化財の茶室「觴華庵(しょうかあん)」がある。三光町6-10。
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37 相川考古館「茶室全景」 |
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38 相川考古館「茶室」 |
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外から室内を拝見。
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39 相川考古館「板戸の琵琶湖の絵」 |
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40 富士重工業 旧伊勢崎製作所
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40 煉瓦の壁面 |
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富士重工業(株)旧伊勢崎製作所の壁面。元は明治45(1912)年創業の旧上毛撚糸の紡績工場で、富士重工業前身の中島飛行機(株)が買収、戦後「スバル360」を世に出した。「伊勢崎ショッピングモール」の敷地内。平和町1-9。
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