01-20 ジェーンズ邸
3回移築され、現在地は熊本市水前寺公園22-16。
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01 ジェーンズ邸正面 |
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02 2階バルコニー |
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03 ブドウの彫刻 |
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04 ジェーンズの写真と暖炉 |
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05 本箱 |
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06 椅子 |
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07 同志社時代の熊本バンドと 外国人 |
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08 同志社時代の熊本バンドと 新島襄 |
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新島は後列の左から3人目。
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09 消毒容器 |
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10 西南戦争で使用した戸板と 「もっこ」 |
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患者を運んだ。
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11 雑誌「博愛」 |
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大正9-12(1920-23)年代の日赤の機関誌(個人提供)。
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12 雑誌「日本赤十字」 |
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明治30-41(1897-1908)年代の機関誌(個人提供)。
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13 有栖川宮熾仁親王 |
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幕末、孝明天皇の妹の和宮と婚約したが、公武合体で和宮と家茂の婚儀が決まり、破談にされた。戊辰戦争で東征大総督として西郷と江戸に向かい、皮肉にも西南戦争で西郷と対峙した。ジェーンズ邸で佐野の請願を快諾、のちに日赤の初代総裁に就任。
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14 許可を得た記念の部屋 |
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15 階段 |
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16 階段 |
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17 窓 |
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18 窓 |
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19 色ガラス |
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20 「愛の手とこしえに」の彫刻 |
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日赤が創立100周年にあたり赤十字活動の発展を祈念。
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21 夏目漱石の家 |
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明治29(1896)年、漱石は熊本第五高等学校に赴任、6回転居した3番目の家で、わずか7か月の滞在とか。元は旧大江村にあったのを、昭和47年にジェーンズ邸敷地内に移築。
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22-24 熊本大学工学部資料館
明治41(1908)年築の熊本高等工業学校の「機械実験工場」。熊本大学の工学部中央工場に使用。公開は毎月第3金曜日のみ。国指定重要文化財。熊本市中央区黒髪2-39-1。
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25 旧制第五高等中学校表門 |
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明治22(1889)年頃の建築で、現在は熊本大学黒髪北キャンパスの正門。熊本大学工学部資料館から見て道路を挟んで反対側。明治29(1896)年に赴任した夏目漱石は「いかめしき門を入れば蕎麦の花」という句を詠んだ。国指定重要文化財。
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26 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) のレリーフ |
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ハーンは明治24(1891)年から約3年間、旧制第五高等中学校の教師を務め、レリーフは平成16(2004)年の制作。
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27-28 五高記念館
明治22(1889)年完成の旧制第五高等中学校本館。旧会津藩の佐川官兵衛は、西南戦争で現在の南阿蘇村で戦死した。本館が完成した翌年、旧会津藩公用方、秋月悌次郎(ていじろう)が67歳で教壇に立ち、感慨深いものがあったと思われる。ハーンは秋月のことを「神のような人」と評したという。室内の撮影は不可。国指定重要文化財。熊本市中央区黒髪2-40-1。
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29-30 第五高等学校化学実験場
本館と同じ明治22(1889)年の建築。国指定重要文化財。
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31-35 夏目漱石内坪井旧居
漱石が熊本で5番目に住んだ家。市指定史跡。熊本市中央区内坪井町4-22。
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31 庭から見る母屋 |
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32 座敷 |
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漱石の人形が座っている。
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33 座敷 |
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手前は観光客。若い女性が目立った。
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34 廊下 |
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35 洋間 |
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