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2016年6月17日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 武蔵国カメラ風土記43 埼玉県三芳町の古民家   New Work
 Old Folk Houses in Miyoshi Town, Saitama Prefecture



埼玉県入間郡三芳町の歴史民俗資料館(三芳町竹間沢877)に、町指定文化財の古民家「旧池上家住宅」がある。江戸時代末から明治にかけて建てられた藍玉生産農家の建物を、昭和63(1988)年に移築復元した。建坪は66坪(217.8㎡)、茅葺の大屋根は当時の池上家の経済力を示している。

藍玉は「藍染」に使う天然素材、四国の吉野川流域が主産地で、関東でも生産していた。深谷市の渋沢栄一の生家も幕末、父の代に藍玉と養蚕の生産、販売で財を成した。従兄弟の尾高惇忠の家は、本業は菜種油を扱う「油屋」だが、同じく藍玉と養蚕の生産、販売をしていた。栄一の商才の原点はここにある。しかしながら藍玉は明治後、徐々に化学染料に市場を奪われ、今では高級品だと聞いている。

この旧池上家住宅から車で15分程の「三富(さんとめ)新田」にも町指定文化財の古民家がある。文化・文政期(1804-1829)に建てられたという「旧島田家住宅」(三芳町上富1279-3)だ。建坪は52坪(171,048㎡)、平成8(1996)年に移築復元した。

一帯は水の便の悪い不毛の土地だったが、元禄7(1694)年、川越藩主になった柳沢吉保の命で11本の深井戸を掘り、村が出来た。コナラ、クヌギ等の雑木林を育て、枯葉を堆肥にする循環型農法で知られる。のち、サツマイモ栽培で成功して、最近はテレビでよく紹介されている。

この旧島田家住宅は寺子屋でもあった。名は「玉泉堂」。当主の島田伴左衛門(伴完)が、幕末に近い天保元(1830)年から村に小学校が開校した明治7(1874)年まで約45年間続けた。江戸時代中頃から幕府も各藩も学問を奨励し、武士の子弟は藩校で四書五経を、百姓、町人の子は寺子屋で読み書きを学んだ。そのため日本人の識字率は当時の諸外国に比べて高かった。明治後、日本の近代化が急速に進んだのはこのおかげと言っても過言でない。

取材した日は小雨模様で、池上家住宅も島田家住宅も土間の炉で薪を焚いていた。燻された柱や床、家具を布で丁寧に磨いているから見事なまでに黒光りしている。
参考サイト:埼玉県三芳町Webサイト
http://www.town.saitama-miyoshi.lg.jp/kanko/rekishi/kyuIkegamike.html

使用カメラ:ニコンD5300, D500. レンズ:DX 10-24mm f/3.5-4.5G ED, 16-80mm f/2.8-4E ED VR, 55-200mm f/4-5.6G ED VR II.


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01-23 旧池上家住宅

 01 外観

 02 土間の炉

 03 竈(カマド)

 04 枯葉を集める籠 この籠のことを「ハチホン」と呼ぶ。

 05 天井の大空間

 06 板敷 良く手入れされた床はまるでニスを塗ったようだ。

 07 板敷の囲炉裏

 08 土間から見た座敷

 09 黒光りした欅の大黒柱

 10 水屋箪笥

 11 蚊帳 昔、懐かしい「かや」。

 12 座敷の格子戸

 13 座敷

 14 奥座敷

 15 欄間のデザイン

 16 縁側

 17 土壁

 18 土壁

 19 土蔵

 20 藍玉等の展示 左手の小さく丸い固まりが「藍玉」、今では貴重品。

 21 外観

 22 建物裏手 農家にとって竹は必需品。

 23 井戸と主屋


24-40 旧島田家住宅

 24 外観

 25 外観

 26 土壁

 27 土間

 28 土間から座敷を見る

 29 炉

 30 竈(カマド)

 31 籠

 32 板敷の床

 33 板敷の間

 34 大黒柱

 35 神棚

 36 天井

 37 奥座敷 この部屋で学問を教えた。

 38 奥座敷

 39 島田伴左衛門(伴完)の掛軸 ばんかんと読む。

 40 縁側

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