取手の本陣、染野家住宅 New Work
Headquarters at Toride, the house of the Somenos in Toride City, Ibaraki Prefecture
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水戸藩は、貞享4(1687)年に水戸街道「取手宿」の名主宅「染野家」を本陣に指定、建物が金、土、日に公開されている(茨城県取手市取手2-16-41)。水戸藩は江戸定府で藩主は江戸にいたから、参勤交代はないが、藩主のお国入りはある。時の藩主は大日本史の編纂を始めた2代、光圀。当時はどの藩も領内の街道の整備に努めていた。
やがて幕末、最後の将軍、15代、慶喜は、慶応4(1868)年1月3~6日の鳥羽伏見の戦いに敗北、江戸に帰り、上野寛永寺で謹慎した。しかし、慶喜が江戸にいると幕臣らが暴発する恐れがある。そのため水戸に向かった。
茨城県立歴史館のWebサイトに慶喜の一行が水戸に向かった時のルートと随行者の名前が出ている。4月11日、寛永寺を出発、松戸、藤代、土浦、堅倉で宿泊、15日に水戸に着いた。染野家で休息を取ったと思われるが、この時点で慶喜の処分がどうなるかは不明だ。染野家の人々はさぞや緊張を強いられただろう。
染野家の主屋は寛政7(1795)年築の入母屋造り。貴人を迎える式台が付いている。表門は文化2(1805)年築、昭和53年に大風で木が倒れて壊れたが修復された。昭和62(1987)年に市が史跡に指定して染野家は建物を市に寄贈、解体復元工事を経て平成8(1996)年に主屋と土蔵が県有形文化財に指定された。
明治4(1871)年「日本近代郵便の父」前島密(ひそか)の提言で東京・大阪間に郵便事業が始まり、政府は名主など資産家に郵便の取扱を命じた。染野家もこれを命じられ、玄関わきに郵便窓口が残っている。今、同様の窓口が残っているのは、東京都府中市の矢島家住宅・奈良県奈良市の松本家住宅・大阪府堺市の川口家住宅の3ヵ所とか。
土間で説明を読んで驚いた。明治政府は強盗除けに銃を配っていた。その銃を「郵便保護銃」と呼ぶ。富岡製糸場が完成したのが明治5(1872)年、まだ時代は安定していなかった。その頃、西郷隆盛、江藤新平、板垣退助らが次々と下野、西国で「佐賀の乱」「熊本神風連の乱」「秋月の乱」「萩の乱」が起きた。いわゆる「不平士族の乱」である。この士族の乱と関係はないが、実際に郵便強盗はあったらしい。
染野家の銃は市の埋蔵文化財センター(取手市吉田383)に展示されている。
茨城県立歴史館Webサイト
http://www.rekishikan.museum.ibk.ed.jp/
使用カメラ:ニコンD7200, D500. レンズ:DX 16-80mm f/2.8-4E ED VR, 55-200mm f/4-5.6G ED VR II.
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