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2017年8月28日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 小諸懐古園と旧北国街道小諸宿   New Work
 Komoro Kaikoen and Former Komoro Post Station located on Hokkoku Kaido



島崎藤村の「小諸なる古城のほとり…」と誰もが知る小諸城の歴史は古い。市の説明には、平安時代の終り頃に、現城址の東側に小室太郎光兼という武将の館があったのが始まりとある。その後、戦国時代の天文23(1554)年、武田信玄が山本勘助と馬場信房に命じて城を築き、豊臣秀吉配下の武将、仙石秀久が今に残る石垣と門を築いて城下町を整備した。

秀久は美濃出身で秀吉最古参の家臣。秀吉の九州平定で、軍監として指揮を執り、天正14(1587)年の島津軍との「戸次川の戦い」に大敗した。結果、四国の長宗我部信親ら多くの秀吉方の武将が討死して秀吉が激怒、一時は高野山に追放された。そのため秀久は歴史小説で愚将として描かれる事がある。

再起を期す秀久は、天正18(1590)年の小田原の役で戦功を挙げて小諸城を得た。そして関ヶ原の戦いは徳川に味方する。真田昌幸、幸村親子を攻めた秀忠の第二次上田合戦に功があり、小諸城を安堵された。単なる猪武者ではない。

仙石家は子の忠政の代に加増を受けて上田に転封、さらに但馬出石に移り、幕末まで続く。ちなみに江戸時代の事件として有名な「仙石騒動」は但馬出石藩での出来事だ。

その後の小諸藩は藩主家が何度も交代したが、元禄15(1702)年、越後長岡藩牧野家の支藩、与板藩の牧野康重が1万5千石で入封、幕末まで10代続いた。

今、小諸城は石垣と大手門、三の門が残っている。慶長17(1612)年に仙石秀久が建てた大手門は、部材を生かし、平成20(2008)年に現在地に復元され、三の門は「懐古園」の入口になっている。この三の門は寛保2(1742年)年の洪水で流失し、明和2~3(1751~1766)年頃の再建という。扁額は16代徳川宗家「家達」の書だ。

通りに出ると、旧北国街道小諸宿の町並みが健在だった。「小諸宿周辺地区修理修景事業実地建造物」が多数あり、幕末~明治の建物が今も軒を連ねている。駅前の小諸市観光交流館の建物も明治の繭問屋の建物だ。

参考サイト:小諸市 懐古園の歴史 http://www.city.komoro.lg.jp/institution/2014022504758/

使用カメラ:ニコン D750, D7200. レンズ:AF-S 18-35mm f/3.5-4.5G ED, AF-S 24-85mm f3.5-4.5G ED VR, AF-S DX 55-200mm f/4-5.6G ED VR II.


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01-06 大手門
小諸市大手1-5-4 大手門公園内。国指定建造物。

 01 大手門全景

 02 入口

 03 2階の空間 板敷の座敷。今は展示室。

 04 屋根の平瓦 「文化9年 御馬寄村 瓦屋 喜惣次」と書かれた瓦。この年に屋根工事が行われたらしい。

 05 窓

 06 仙石秀久の幟 2階に上がる入口にあった秀久の幟。

07 明治の繭倉庫 大手門の隣りに「くらしかる浪漫館」と名付けられた資料館。現在、休館中。


08-19 懐古園 (旧小諸城)
懐古園の名は、明治になって城内に懐古神社が創建されたことによる。小諸市丁311。

 08 三の門 懐古園の入口。左右に矢狭間、鉄砲狭間を備える。扁額は徳川家達。国指定建造物。

 09 南の丸跡

 10 小諸領境界石標 懐古神社境内に移築。

 11 天守台跡

 12 天守台跡

 13 馬場跡

 14 高浜虚子の句碑

 15 武器庫

 16 島崎藤村像

 17 千曲川旅情の詩碑 藤村の小諸時代の代表作「千曲川旅情の歌」の詩碑。

 18 「水の手展望台」から見る千曲川

 19 城の絶壁 いかにも天然の要害とわかる。

20 小諸義塾記念館 明治26(1893)年にアメリカに行き、西洋文明とキリスト教を学んだ牧師「木村熊二」が帰国後に開いた私塾の建物。懐古園入口の左手に移築復元。小諸市古城2-1-8。

21 油庫 小諸駅前。明治42(1909)年、鉄道のランプに使用する油を保管した煉瓦倉庫。


22-24 小諸宿本陣主屋
参勤交代の大名や、幕府の高級役人が休憩または宿泊した18世紀~19世紀初めの建物。明治になって寺の本堂や庫裏として使用。旧部材を可能な限り利用し駅前に移築復元。現在はNPO法人が管理してイベント等に利用。小諸市大手1-6-14 大手門公園内。

22 小諸宿本陣主屋の外観

23 本陣の正面

24 イベントの吊るし雛


25-30 北国街道ほんまち町屋館
大正12(1923)年築の商家。昭和40年代まで味噌、醤油を醸造販売した旧清水屋の建物で町おこしの拠点。小諸市本町2-2-9。

 25 ほんまち町屋館の外観

 26 座敷

 27 醤油の看板

 28 味噌樽

 29 2階の格子窓

 30 城の中仕切門の部材 明治に城を解体、商家に部材が払い下げられ、蔵の構造材に使用。

31 商家

32 商家 (旧小諸銀行)

33 商家

34 商家

35 本陣問屋場 (修復工事中) 江戸後期。宿場間で荷物の中継を行なった建物で国指定建造物。小諸市市町1-2-29。

36 旧脇本陣 江戸後期の建物。

37 江戸後期の建物 今は「そば屋」。

38 観光交流館 明治の繭問屋の建物。小諸市大手1-6-16。

39 水明楼 小諸義塾を始めた木村熊二が書斎に使用した建物。藤村ら文人が訪ねて交流を重ねる。千曲川ほとりに建つ明治31(1898)年創業の温泉旅館「中棚荘」内。小諸市古城乙1210。小諸城から徒歩約20分。

40 「はりこし亭」 「中棚荘」内。江戸時代に北国街道沿いで藍染屋を営んでいた古民家を移築。国登録有形文化財。

41 「山頭火」句碑 「はりこし亭」前にある。昭和17(1942)年に中棚荘に宿泊、藤村を偲んで詠んだ。

42 塩川家住宅主屋 明治27(1894)年築の江戸時代に藩御用達として藩の財政を支えた大地主の家。非公開。国登録有形文化財。小諸市大字森山700。

43 「三の門」デザインのマンホール

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