01 上田駅前「真田幸村像」 |
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上田市立博物館の説明では、本人の署名は「真田信繁」だが、「幸村」の呼名が一般的。この像も名は幸村。
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02-24 上田城(国指定史跡)
上田市二の丸6263番地イ。
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02 上田城「東虎口櫓門」 |
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平成6(1994)年の復元。
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03 櫓門の「真田石」 |
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天正11(1583)年、上田築城時に真田昌幸が据えた巨石。
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04 「櫓」 |
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櫓門を挟んで建つ南北の「櫓」は、明治維新で民間に払い下げられたが、昭和18(1943)年に買い戻した。昭和24(1949)年に南櫓、北櫓として再建。長野県県宝。
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05 「櫓」室内 |
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06 「梁」 |
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07 隅櫓「鯱瓦」 |
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08 「元禄年間(仙石氏時代)の 城下絵図」 |
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09 「狭間」 |
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ここから矢、鉄砲を撃つ。
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10 「駕籠」 |
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元和6(1620)年、信之の妻の小松姫(48歳)が、江戸藩邸から療養のために草津温泉に向かう途中、鴻巣宿で病のために死去。その遺骸を上田まで運んだと伝えられる駕籠。墓は上田市内の芳泉寺と、群馬県沼田市の正覚寺、埼玉県鴻巣市の勝願寺にもある。
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11 「鎧の模造品」 |
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12 「真田神社」 |
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13 「模造の六文銭の冑」 |
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14 「土塁」 |
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15 「真田井戸」 |
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城外に繋がっているという説がある。
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16 二の丸「煙硝蔵」 |
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仙石氏時代の貞享3(1686)年に新設された蔵。
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17 「西櫓」 |
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寛永年間に仙石忠政が建てた「櫓」。江戸初期の「櫓」として歴史的価値が高い。南櫓、北櫓と共に長野県宝。
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18 駐車場から見た「西櫓」 |
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19 「尼ヶ淵の崖」 |
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城は千曲川の分流に面した崖の上に建っている。崖は崩れやすく、洪水の度に浸食されるため、享保18(1733)年から松平氏が石垣の工事をしたが、完成しなかった。今、川の流れが変わり、河原は駐車場と緑地帯。
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20 「南櫓」 |
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駐車場から見た南櫓。長野県宝。
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21 「記念撮影の看板」 |
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22 「石垣と排水口」 |
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23 「けやき並木」 |
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24 二の丸土塁下 「けやき並木遊歩道」 |
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堀跡に昭和2(1927)年11月「上田温泉電軌北東線」が開通して電車が走っていたが、昭和47(1972)年に廃止され、今は遊歩道。
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25 上田藩主居館跡「表門」 |
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真田、仙石、松平氏と続いた藩主の居館跡の門。現在は長野県上田高校。市指定建造物。上田市大手1-4-32。
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26 表門「松平家五三桐の家紋」 |
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27-29 北国街道「柳町」の町並み
江戸末期から明治にかけての家屋が並ぶ。柳の木が多かったのでこの名がある。参勤交代や、佐渡金山奉行の行列も通った。上田市4丁目 柳町通り。
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27 「造り酒屋」 |
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28 甲州出身「味噌屋」 |
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29 「そば屋」 |
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30-33 芳泉寺
信之の妻、小松姫の墓と、仙石家の霊廟がある。埼玉県鴻巣市の勝願寺にも小松姫と秀久の墓がある。常盤城3-7-48。
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30 「小松姫の墓」 |
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10を参照。左の扉に六文銭。右の扉に葵の紋。市指定史跡。
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31 「仙石家霊廟」 |
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左が仙石秀久、右が忠政の子で仙石家三代藩主、政俊の廟。市指定史跡。
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32 「仙石秀久の墓石」 |
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33 仙石家の家紋「永楽通寶」 |
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34-41 真田氏発祥の郷
上田市の郊外、真田町が発祥の地。
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34 「真田氏発祥の郷」の碑 |
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上田市真田町本原の真田氏記念公園内。作家の故・池波正太郎の揮毫。
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35 長国寺「真田昌幸と両親の墓」 |
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真中が昌幸の父、幸綱(又は幸隆)の墓。真田氏は古くからの信濃の豪族、海野氏の一族と言う。幸綱は甲斐の武田信玄に仕えて信濃先方衆として活躍、真田氏隆盛の基を築いた。左端が幸綱の妻、右橋が昌幸の墓。市指定史跡。上田市真田町長4646。
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36 真田氏本城跡「道祖神」 |
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城は、幸綱の代から戦時に使われた山城。平時は麓の居館にいた。昌幸が上田城を築くまでの真田一族の本拠。規模は大きく、上田市街が一望出来る。市指定史跡。上田市真田町長5029-3。
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37 「石仏」 |
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38 本郭「土塁跡」 |
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39 「本郭付近」 |
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40 「砥石城方面を望む」 |
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41 「御屋敷公園」 |
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真田本城跡の麓で、真田氏が上田城を築城する前の屋敷跡。市指定史跡。上田市真田町本原2984-1。
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42-44 砥石城跡
東太郎山の尾根に枡形城、砥石城、米山城と続く中世の山城。築城がいつ頃かは不明。葛城城主の村上義清の配下にあった天文16(1547)年、武田信玄が攻めて大敗した。武田方の死者は1,000名を超えたと言い、これを「砥石崩れ」と呼ぶ。村上義清は信玄と死闘を繰り返した北信濃の豪族で、その後、信玄の信濃先方衆、真田幸綱が調略を用いて城を奪った。後に子の昌幸が上田城を築城して徳川と戦った2度の上田合戦でも要の位置にあった。上田市上野。県史跡。
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42 「櫓門」 |
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43 「砥石城跡」 |
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櫓門から山道を休みながら登り、およそ30分を要した。相当にきつい坂道と階段が続くので、登るにはそれなりの覚悟が必要。
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44 「眼下に上田市街」 |
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45-50 八日堂「信濃国分寺」
奈良時代に聖武天皇の勅願で建立された国分寺は兵火で焼け、約300m北の現在地に再建された。地域を代表する大寺院で、三重の塔は室町時代中期の建立で国指定重要文化財。薬師如来を祀る本堂(八日堂、薬師堂とも呼ぶ)は、当時の藩主、藤井松平家の庇護の下、文政12(1829)年から万延元(1860)年まで、広く浄財を集めて建立された。余談だが、万延元年は幕末、井伊大老が桜田門で暗殺された年だ。長野県宝の天台宗寺院。上田市国分1049。
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45 「本堂」 |
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46 本堂内「大提灯」 |
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47 「ちいさな木像」 |
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誰の木像か不明とか。もしかすると比叡山延暦寺を開いた伝教大師最澄では?
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48 「三重の塔」 |
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49 「鐘楼」 |
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格天井の絵。
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50 奈良時代 「国分寺・国分尼寺跡」 |
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現在の正式名称は「信濃国分寺史跡公園」。発掘された礎石が当時の伽藍の様子を彷彿とさせる。国指定史跡。上田市大字国分 1125。
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