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2017年12月4日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 旧青木家那須別邸   Former Nasu Villa of Aokis   New Work



栃木県那須塩原市の道の駅「明治の森・黒磯」に、明治の外交官、青木周蔵 (天保14 (1844) -大正3 (1914) )が建てた「とちぎ明治の森記念館 (旧青木家那須別邸) 国指定建造物」がある。明治21(1888)年築の建物で、元の位置から約50メートル離れた所に移築された。(道の駅「明治の森・黒磯」は栃木県那須塩原市青木27)

青木は長州藩出身。明治元(1868)年にドイツに医学留学をして外交官に転身、ドイツ、イタリア、オランダ公使を歴任、山縣有朋、松方正義内閣で外相を勤めた。当時の医学界はドイツ医学が世界の主流で、伊香保や草津温泉の効能を再認識させた「ベルツ博士」もドイツの人だ。青木も積極的にドイツの学問、文化を日本に紹介して「ドイツ翁」とあだ名された。

富国強兵を目指す日本はロシアの南下政策を恐れ、北海道に屯田兵を置き、各藩が開拓に従事した。それは家録を失った武士階級の救済事業でもあった。鶴岡では庄内藩士が城下町郊外の「松ヶ岡開墾場」で主に養蚕を、静岡で徳川家臣団が荒地に茶畑を造った。

昔「那須野が原」と呼ばれた原野は、「土木県令」と呼ばれた薩摩出身の県令、三島通庸 (みちつね) が状況を変えた。三島は自由民権運動を弾圧するなど問題の多い人物だが、明治13(1880)年、那須で自ら農場を始め、街道を整備した。同18(1885)年に那珂川から水を引いて「那須疏水」が完成、翌年、宇都宮-黒磯間に鉄道が開通した。この前後に青木周蔵、大山巌、西郷従道、佐野常民、品川弥二郎、鍋島直大、山縣有朋、毛利元敏、松方正義、戸田氏共らの華族階級が農場を始めている。

青木農場の開場は明治14(1881)年、ドイツの「黒い森」の事が念頭にあったのか、青木は「日本の農業は水田経営が中心で、山林原野が放置されている」と指摘、造林に重点を置いた農場経営を試みたという。

ところで、青木邸で白い外壁の「うろこ型」のスレートを見て、神戸市北野の異人館「うろこの家 (旧ハリヤー邸)」を想い出した。こちらは明治38(1905)年頃に建てられたという城のような洋館で、最後の住人ハリアーはドイツの人だ。

参考サイト:
 那須塩原市ホームページ http://www.city.nasushiobara.lg.jp/02/000913.html
 丹羽 諭「神戸北野異人館」 http://sniwa.web-prophoto.com/028kobe.html

使用カメラ:ニコン D7500. レンズ:AF-S DX 18-140mm f/3.5-5.6G ED VR.


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01

02

03

04 うろこのスレート

05

06

07

08

09

10 青木の子孫が船旅で使用した
   衣装ダンス

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12 青木が使用した馬車

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15 青木が使用した主人室

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17 食堂

18 ベルリン留学中の公家と大名の
  子弟達

19 二階座敷

20 二階寝室

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22

23 浴室

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25 青木邸の軸組構造

26 青木着用の大礼服

27 青木の写真

28 青木の妻
  「エリザベート・フォン・ラーデ」

29 エリザベートが使用した鏡台

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