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2018年5月18日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 須坂市の建物   Historical Buildings in Suzaka City, Nagano Prefecture   New Work



長野県の須坂市は江戸時代「堀家1万石」の小藩。最近、テレビの旅番組で江戸時代から続く豪商の館「田中本家博物館」が紹介される事が多い。田中本家は江戸中期の享保18(1733)年から続く大地主。3代と5代目当主は士分の扱いを受けていた。3,000坪の敷地に20の蔵があり、一部が公開されている。

明治5(1872)年の群馬「富岡製糸場」の開業は、元々養蚕が行われていたこの須坂にも大きな影響を与えた。市のホームページによると、同年、市内に「生糸改会所」を設置、器械製糸が導入された。明治22(1889)年の市内製糸場の工女数が約3,500人、大正の全盛期には約6,000人の工女が働いていたという。蔵造りの町並みはこの頃に出来た。

その中で、明治20(1887)年に越寿三郎(こし じゅさぶろう)が創業した「山丸組」は須坂を代表する製糸会社だった。寿三郎は幕末の元治元(1864)年「小田切家」の三男に生まれて「越家」に養子に入り、実業家として成功した。須坂市内の他、埼玉県大宮、愛知県安城、新潟県村上に製糸場を持ち、上高井銀行(八十二銀行の前身)、信濃電気(後の中部電力)、カーバイド工場、信越窒素肥料会社(後の信越化学工業)、俊明社病院などの新規事業を次々と立ち上げている。

この寿三郎が、次男、泰蔵のために購入した家が登録有形文化財の指定を受けて公開されていた。なんと床の間に渋沢栄一の書が飾られている。栄一、77歳の時(大正6,1917年)の書だ。第一銀行頭取を辞任、実業界を引退しようとした頃で、栄一を敬慕する寿三郎が書を依頼したらしい。

大倉財閥の創始者、大倉喜八郎も、栄一から寿三郎を紹介されて大正7(1918)年に須坂に製糸場を建設している。大倉が社長、寿三郎が副社長、泰蔵が専務である。ちなみに市の博物館に、この大倉製糸の応接室と事務所の間にはめ込まれていた須坂市指定文化財のステンドグラスが残っているそうだが、今、博物館は改装工事中でお休みだった。

大正15(1926)年に泰蔵が設立した「須坂商業高校」では、栄一が寿三郎、大倉喜八郎らと顧問に名を連ねているが、昭和の初めの金融恐慌で製糸業の山丸組は解散した。

参考サイト:
信州須坂のおたから
https://www.city.suzaka.nagano.jp/otakara/search/search_result.php?code=01

使用カメラ:ニコン D500, D7500. レンズ:DX AF-S 10-24mm f/3.5-4.5G ED, AF-S DX 16-80mm f/2.8-4E ED VR, AF-S DX 55-200mm f/4-5.6G ED VR II.


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01-07 須坂市歴史的建物園
市が文化財建造物を移築して公開中。須坂市野辺1386-8。

 01 長屋門 元板倉家の建物を別邸とした寿三郎が、明治30(1897)年に建てた(市指定有形文化財)。


02-04 元板倉家屋敷(市指定有形文化財)
藩医、板倉雄蹟(ゆうせき)が慶応元(1865)年に建て、私塾を開いていた。明治になってから越寿三郎が別邸に使用。

 02 元板倉家全景

 03 ひな飾り 取材したのが4月16日。庭に面した座敷に飾られていた。

 04 藩政時代の私塾の様子を再現

05 武家長屋(市指定有形文化財) 下級武士が住んだ11戸連続した長屋の一戸を復元。


06-07 旧牧家住宅(市指定有形文化財)
江戸時代末の民家。

 06 全景

 07 窓と土壁


08-12 旧園里(そのさと)学校(市指定有形文化財)
明治16年築の学校。現在は「園里郷土資料館」で民具等を展示。須坂市豊丘1076。

 08 正面六角形の太鼓楼

 09 養蚕の道具

 10 家庭の食事風景を再現

 11 教室を再現

 12 当時の教科書

13 市内蔵造りの町並み


14-15 越家住宅(国登録有形文化財)
越寿三郎が息子の泰蔵のために購入した住宅。市内で最初に電話が設置され番号が1番。そのため「山丸一番館」と呼ばれた。須坂市春木町435-2。

 14 床の間に渋沢の書

 15 若き日の越寿三郎


16-20 旧小田切家住宅(市指定有形文化財)
麹、酒造、油、蚕糸、呉服を商っていた須坂藩御用達の住宅。明治3(1870)年、須坂騒動で打ち壊しに会い、その後に再建。昭和の終り頃から空家になり、現在は市が所有、文化施設として公開中の豪邸(須坂市須坂423-1)。

 16 外観

 17 座敷

 18 座敷

 19 庭園

 20 土蔵前の陶板の床


21-22 ふれあい館「しらふじ」旧丸田医院(国登録有形文化財)
明治初期に藩重役が建てた住宅を明治43年に医師が取得。洋風診療棟を増築して昭和の終り頃まで開業していた。庭内に樹齢100年という白藤の木があるため「しらふじ」の名が付いたとか(須坂市須坂32-1)。

 21 座敷

 22 診療棟


23-26 元牧新七家住宅 (市指定有形文化財)
牧家は藩政時代、藩御用達の呉服商。明治になって銀行、製糸業に進出、牧新七が明治10(1877)年頃に住宅兼店舗に建てた。大正時代に山丸組の越家の所有になり、さらに昭和8(1933)年、酒造家の本藤家が取得した。現在は日本画家の岡信孝氏のコレクションを展示する「須坂クラシック美術館」として公開。主屋、店、長屋門、土蔵がある豪邸、経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定された(須坂市須坂371-6)。

 23 座敷

 24 床の間

 25 「入側」のガラス戸 座敷と縁側の間の畳敷きの空間を「入側」と呼ぶが、庭に面したガラス戸が障子のようにデザインされているのは大変に珍しい。

 26 ぼたもち石 家の土台の石。「ぼたもち石積み」とも呼ぶ。丸い自然石を使うため、高度な技が必要。須坂が製糸で繁栄した時代の証とされる。


27-28 中野家住宅(国登録有形文化財)
明治の初めの土蔵造りで呉服店「綿幸」を営む。蔵に展示室がある。店、蔵座敷、北土蔵、南土蔵の建物4棟が国登録有形文化財。須坂市須坂160。

 27 建物外観

 28 展示室

29 宇治乃園「佐藤家」 三階にやぐらを乗せた蔵造りの店舗。明治15(1882)年から120余年も続く茶の老舗、須坂市須坂503-1。


30-32 ふれあい館「まゆぐら」(国登録有形文化財)
明治時代に建った三階建てのまゆ蔵。曳家移転して観光案内施設に使用。まゆは湿気が大敵。通気性が良く、温度変化に強い土蔵造りや煉瓦造りの蔵が適していた。須坂市須坂387-2。

 30 まゆぐら全景

 31 2階展示場 養蚕と製糸の道具類。

 32 屋号入り半纏、提灯と収納箱


33-39 豪商の館「田中本家博物館」(国登録有形文化財)
古文書の他、衣装、書画骨董類など多数展示。「近世の正倉院」と表現するほどに伝えて来た文化財の種類が多い。(須坂市穀町476)。

 33 味噌蔵

 34 帳場

 35 通路の桜

 36 母屋

 37 庭園

 38 丸窓障子

 39 丸窓障子


40-43 旧上高井郡役所
大正6(1917)年築の郡役所。その頃の特徴と言える「上げ下げ式の窓」を持つ。県の事務所などに使用された他、最後は須坂保健所。平成18(2006)年、県が建物を須坂市に譲渡、全面改修と耐震補強がされた。平成19(2007)年から歴史資料を展示する他、会議、サークル活動等に使用。須坂市須坂812-2。

 40 建物全景

 41 2階ホール 天井の色も当時のままに復元。

 42 1階会議室

 43 上げ下げ窓と桜


44-45 須高農業協同組合井上支所本館 (国登録有形文化財)
昭和3(1928)年築の棟札がある。大正から昭和初期にかけて多く建てられた洋風意匠の事務所建築。須坂市大字幸高447-2。

 44 建物外観

 45 階段

46 臥竜公園 製糸業で働く人々の憩いの場にと、日比谷公園を設計した東大の本多静六博士に設計を依頼して昭和6(1931)年に出来た公園。皮肉な事に工事は昭和恐慌の失業対策になった。須坂市臥竜2-4-8。

47 越寿三郎顕彰碑 大正13(1924)年に寿三郎60歳の還暦を祝った像。臥竜公園内。

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