名古屋城本丸御殿の障壁画、他 New Work
Wall paintings at Nagoya Castle, and some historic buildings in Nagoya
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昨年、尾張徳川家の名古屋城本丸御殿が木造で復元された。年表を見ると、徳川の威光を天下に示すべく、加藤清正、福島正則らを動員した天下普請で天守閣がほぼ出来上がったのが1612(慶長17)年、「大坂夏の陣」で豊臣氏が滅亡した1615(慶長20/元和元)年に本丸御殿が完成した。その後、二之丸御殿が出来、初代藩主、義直(家康の9男)はそちらに移り、本丸御殿は江戸の将軍家が都に上洛する際に宿泊する御成御殿になった。ただし、江戸時代を通じて将軍家の上洛は滅多になく、2代秀忠、3代家光と14代家茂のみ。15代慶喜は都に滞在中に将軍に就任、よく知られているように大坂から船で江戸に戻った。
1930(昭和5)年に天守閣、本丸御殿など城内の建物24棟が国宝に指定されたが、1945(昭和20)年の空襲で焼け、1959(昭和34)年にコンクリートで天守閣を再建した。しかし老朽化と耐震不良のために閉館を余儀なくされ、新たに木造で天守閣と御殿を再建する案が浮上、先に本丸御殿が完成した。「史料に忠実に復元」した狩野派の障壁画が素晴らしい。ぜひ、多くの人々に見て頂きたいと思う。
城近くの重厚な赤レンガの建物は、元、名古屋控訴院・地方裁判所・区裁判所庁舎に使用された1922(大正11)年築の国指定建造物。今は「名古屋市政資料館」として公開され、テレビのロケ等によく利用されているとか。NHKで放映された大河ドラマ、司馬遼太郎原作「坂の上の雲」の撮影もあったらしい。
市政資料館からはタクシーで、日本で最初の女優「川上貞奴」が、電力王と呼ばれた福沢桃介 (福沢諭吉の娘婿) と暮らした家に行った。以前、川上貞奴を主人公にした小説を読んでいる。貞奴は興行師の川上音二郎と欧米を巡業、川上音二郎が亡くなって福沢と再婚、1920(大正9)年頃にこの家を建て、1926(大正15)年頃まで住んでいたという。
福沢は株取引などで成功して木曽川の電源開発に力を注いだ実業家で、1912(明治45)年に衆議院議員になった。木造、鉄筋コンクリート造りの和洋折衷で、居間に大きなステンドグラスがある。2005(平成17)年に現在地に移築復元、かつて東二葉町にあった事から、正式名称を「文化のみち二葉館」と呼ぶ。
参考サイト:
名古屋城 https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/
市政資料館 http://www.city.nagoya.jp/somu/page/0000119384.html
文化のみち二葉館 https://www.futabakan.jp/
使用カメラ:ニコン D750. レンズ:AF-S 24-70mm f/2.8G ED, AF-S 70-200mm f/4G ED VR.
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