2013年に掲載したWeb写真展に「窓」と「階段」がある。この中に東京駒場の「前田侯爵邸」で撮影した写真を加えた。今回、再びこの洋館を撮影した。
加賀藩前田家の屋敷は、今、東大がある本郷にあった。明治天皇の行幸を迎えるため明治40年に16代当主の利為(としなり)が洋館を建て、43年に天皇,皇后の訪問が実現している。その後、大正12年の関東大震の復興計画で大学の敷地拡張案が浮上、前田家は東大農学部の土地と交換して新たに駒場に本邸を建てる事になった。
利為は、加賀藩前田家の支藩、群馬の七日市藩主の子に生まれて前田本家を継いだ。時代の流れで学習院から陸軍士官学校(17期)に進み、最終階級は陸軍大将、同期に東條英機がいる。大正2年にドイツに私費留学、昭和2年に武官としてイギリス大使館で勤務した経験もあって、国際的な見識を持っていたらしい。新たに建てる本邸は外国の賓客を迎えられるような洋館をと考え、調度品などの家具類はロンドンで誂えた。利為は大正15年に前田家伝来の文化財を伝えるために「前田育徳会」を設立していて、元々、文化、芸術に理解が深い。これは加賀藩前田家の家風と言っていい。
施工は現在の竹中工務店に依頼した。昭和3(1928)年から5年にかけて鉄筋コンクリートで造り、表面を石材とタイルで飾った。石材は国会議事堂の内装材にも使用されている石川県小松市で産する「大華石(凝灰岩の一種)」を用い、洋館の隣に和館も建てた。
しかし、昭和17年、すでに予備役に編入されていた利為に再び招集の命令が届き、ボルネオ方面軍司令官に就任して飛行中、搭乗機が墜落して戦死してしまった。そのため家族は他所へ移り、一時、中島飛行機が建物を所有した。
戦後、華族制度は廃止され、侯爵邸は進駐軍司令官の宿舎になった。昭和39年に東京都が建物を取得して42年から平成14年まで「東京都近代文学博物館」に使用、修復工事の後「旧前田侯爵邸」として一般公開された。最近は映画等のロケにも良く使われている。1階に食堂と大小の客室と会議室、2階が侯爵家の私的空間で、侯爵夫妻が使用したリビング、書斎、寝室、子供達の部屋、女中部屋などがある。
「和館」はお茶会などに利用されていて、通常、見学は1階の座敷のみ。パンフレットを見ると洋館が東京都、敷地と和館が目黒区の管理になっている。2013(平成25)年に洋館と和館全体を国の重要文化財に指定、それまでの「旧前田侯爵家駒場本邸」の名称を「旧前田家本邸」とした。No.01-29が洋館。No.30-36が和館。
参考サイト 東京都生涯学習情報 旧前田家本邸のページ
https://www.syougai.metro.tokyo.lg.jp/sesaku/maedatei/history.html
「旧前田家本邸」〒153-0041東京都目黒区駒場4-3-55目黒区立駒場公園内
使用カメラ:ニコン Z6, Z50. レンズ:Z 14-30mm f/4 S, Z 24-200mm f/4-6.3.
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