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2020年10月27日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 旧安田楠雄邸庭園   New Work
 The Former Kusuo Yasuda Residence



大正8-9(1919-20)年築の住宅がほぼ当時のまま残っている。洋間の応接室の外は書院造りの2階建で、一般住宅と比較して部屋数が多い。建てたのは藤田好三郎 (よしさぶろう) という実業家で、施工は現在の清水建設である。当時、藤田は渋沢栄一の甥の大川平三郎が経営する樺太工業 (後に王子製紙と合併) の役員をしていた。後の大正15(1926)年に練馬の「豊島園」をオープンさせた人でもある。

藤田はこの住宅をわずか数年で売却している。相手は安田財閥の創業者である安田善次郎の女婿、安田善四郎だ。この善四郎の長男が楠雄氏で、今、この住宅に「旧安田楠雄邸庭園」の名が付いている。そこで藤田が安田家に売却したのは何故だろうと思った。

パンフレットにはその説明がない。勝手に推測すると、大正12(1923)年9月1日の関東大震災でこの家に大きな被害はなかった。しかし、安田家は日本橋小網町と本所の屋敷が崩壊して焼け落ち、何人もの犠牲者を出している。重傷者もいただろう。そのためすぐに屋敷を確保しなければならず、善四郎が藤田に頼み、新築で部屋数の多いこの家を購入したのではなかろうか。

安田家は藤田が建てたこの家をとても大切にして来られた。そのため平成7(1995)年に楠雄氏が他界された後、御遺族はこの家を日本ナショナルトラストに寄贈、末永く大切に伝えられる事を願っておいでだ。

パンフレットには「大正から昭和初期の東京山手の庭園と住宅の雰囲気を今に伝え、貴重な価値がある」と書かれていて、平成10(1998)年に「東京都名勝」に指定、名称も「旧安田楠雄邸庭園」になった。この家は庭も素晴らしい。しかし、残念ながら取材した日は庭に降りて撮影する事が出来なかった。

ところで、見学の際は必ず靴下をはき、カバン等を入口で預ける決まりになっている。壁、障子、ふすまなどにカバン等が触れて痛めるのを防ぐためだ。そうした事がないように自分もカメラバックを預け、1台のカメラのみで撮影した。文化財の見学と撮影は細心の注意を払いたい。

この安田邸の公開は毎週水曜日と土曜日の2回、10:30-16:00(入館は15:00まで)となっている。写真 [01-18] は1F、[19-30] は2F。[14] は安田善次郎。

参考サイト 東京都教育委員会「東京都文化財めぐり」旧安田楠雄邸庭園
https://www.syougai.metro.tokyo.lg.jp/bunkazai/week/sendagi/sendagi03.html
113-0022 東京都文京区千駄木5-20-18

使用カメラ:ニコン Z5. レンズ:Z 24-200mm f/4-6.3.


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