Web-ProPhoto.com
2013年3月27日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
Reportage
作品一覧
List


 武蔵国カメラ風土記14 渋沢栄一
 Eiichi Shibusawa   First appearance on the Web: September 21, 2012


明治の実業家、渋沢栄一は江戸時代の天保11年(1840)現在の埼玉県深谷市血洗島の農家に生まれ(武蔵国カメラ風土記10洋館と13古民家を参照)、近くに住む従兄弟の尾高惇忠に論語を学び、のち、尊王攘夷思想の影響を受けた。元治元年(1864)栄一25才の時、一ツ橋家用人、平岡円四郎のはからいで一ツ橋慶喜に仕え、慶応3年(1867)に慶喜の弟、昭武の渡欧(フランスパリ万博)に随行した。ヨーロッパ文明に接した栄一は帰国後大蔵省に勤めるがすぐ辞職。その後、今風にいうなら、起業家として第一国立銀行を初め、約500社の企業を創立、または関与したという。王子製紙、東京瓦斯、日本郵船、東京証券取引所などの企業は今日も続き、近代日本資本主義の父とも呼ばれている。

深谷市には明治20年(1887)に日本煉瓦製造会社を設立。その煉瓦で東京駅、現在の法務省、赤坂離宮など明治の代表的な建物群が作られた。現在も市内に邸宅、工場の事務所、窯跡、深谷駅までの専用線の橋が残る。東京都内の飛鳥山では晩年の邸宅が一般公開されている。

使用カメラ:ニコンD800, D7000。レンズ:FX16-35mm, 24-85mm, 24-120mm, 28-300mm。

参考ページ・サイト   (リンク先を選ぶとそのページに移動します。)


各画像をクリックすると拡大表示されます。Click to enlarge.  
各作品の著作権はすべて撮影者に帰属します。
二次使用は固くお断りいたします。



01 JR深谷駅前の栄一像

02 誠之堂 第一銀行の行員達が栄一の喜寿を記念して建築。国指定重要文化財。深谷市起会84-1大寄公民館内。「10洋館」参照。

03 誠之堂外壁 煉瓦の喜寿の文字。

04 清風亭 誠之堂と並んで建つ。第一銀行で栄一の後を継いだ佐々木勇之助頭取の古希を記念して建てた。県指定有形文化財。「10洋館」参照。

05 清風亭内部

06 栄一生家「中の家」 その門は県指定旧跡。深谷市血洗島247-1。「13 古民家」参照。

07 母屋 明冶28年(1895)栄一の妹夫婦が建てた母屋は市指定史跡。

08 青淵の池 中の家の裏手にある。栄一の号「青淵」の由来となった。

09 渋沢記念館テラスの栄一像 中の家の近く。深谷市下手計1204。

10 尾高惇忠宅 惇忠は栄一の従兄弟で、栄一の論語の師匠。市指定史跡。深谷市下手計236。「13 古民家」参照。

11 鹿島神社の扁額 男爵の時、栄一が書いた。境内には徳川慶喜が題字を書いた尾高惇忠の碑もある。深谷市下手計1145。

12-19 日本煉瓦資料館(金曜日のみ公開)
栄一が関与して明治21年(1888)操業開始した日本煉瓦製造株式会社の旧事務所。この「旧事務所」「ホフマン窯」「旧変電室」近くの「備前渠鉄橋」の4箇所は国指定重要文化財。深谷市上敷免28。「武蔵国カメラ風土記10 洋館」参照
12 旧事務所

13 栄一や益田 孝らの写真 三井物産の益田 孝を初め、本庄市の諸井恒平(のちに秩父セメントを創立)などが設立に関わった。

14 物品の展示

15 門扉の社紋

16 旧変電室 事務所の裏手にある。震災で被害を受け修復中だった(9月初め撮影)。

17 ホフマン窯 煉瓦を製造した窯跡(震災の被害のため現在見学不可)。

18 備前渠鉄橋 ボーナル型プレートガーダー橋。農業用水路「備前渠」に、明治28年架設。今、レールは撤去されて遊歩道になっている。深谷市上敷免中島28-2。

19 煉瓦アーチ橋 備前渠鉄橋の用水を分岐するための煉瓦の橋。

20 福川鉄橋 ボーナル型プレートガーダー橋。煉瓦を深谷駅まで運ぶ専用鉄道の橋で、明治28年に福川に架けた(避溢鉄橋とともに公園に移築され市指定有形文化財)。深谷市原郷619-2。

21 避溢(ひいつ)鉄橋 ボックスガーダー橋。福川の洪水の時、水の逃げ道として平地に作った。

22 唐沢川鉄橋 唐沢川に架かるボーナル型プレートガーダー橋。深谷駅の近く西島町1丁目。

23 つばき橋 唐沢川鉄橋は今「つばき橋」と命名変更されて歩行者用の橋になっている。

24 深谷商業高校 栄一の肝いりで創立。国登録有形文化財で現在修復工事中。深谷市原郷80。

25 栄一お手植えの赤松 栄一の生まれた血洗島の近く、新田源氏の新田義兼の菩提寺、華蔵院の本堂前にある。深谷市横瀬1360。

26 青淵歩道橋 深谷商業高校近く原郷地区国道17号線の歩道橋。

27-32 旧渋沢邸
東京王子飛鳥山公園内に栄一晩年の旧渋沢邸があった。晩香廬と清淵文庫はともに国指定重要文化財で見学可。資料館もある。東京都北区西ヶ原2-16-1。
27 晩香廬 大正6年(1917)栄一の喜寿を祝って現在の清水建設が建てた。内外の賓客を迎えるレセプション・ルームとして使用。

28 晩香廬リビング

29 庭園内の栄一像

30 青淵文庫 大正14年(1925) 栄一80才の時、男爵から子爵に昇格した祝いに建てられた。書庫や接客に使用。

31 文庫テラスの文様

32 渋沢資料館入口の栄一の立看板

33 栄一像 東京都千代田区大手町2-7の常盤橋公園内にある。

34 第一国立銀行跡地 栄一は明治6年(1873)日本最初の銀行、第一国立銀行をここに作る。これが後の第一勧業銀行で、現在この跡地にはみずほ銀行の支店がある。東京都中央区日本橋兜町4-3。

35 東京証券取引所マーケットセンター 明治11年(1878)に東京株式取引所を栄一が創設。見学可。東京都日本橋兜町2-1。

36 第一国立銀行錦絵 証券取引所内に展示。この建物は通称「三井組ハウス」と呼ばれた。

37 第一国立銀行株券 証券取引所内に展示。明治6年、三井八郎右衛門の名がある。

38 築地の聖路加国際病院 栄一が財団法人聖路加国際病院の初代理事長。東京都中央区明石町9-1。

39 渋沢家墓地 墓は東京台東区谷中霊園内、徳川慶喜墓地のすぐ近く、乙11号1側にある。非公開。

40 徳川慶喜墓地 栄一の慶喜に対する忠節は終生変わらなかったという。非公開。

この写真家の作品一覧へ   Web-ProPhoto.com トップページへ   ▲このページの先頭へ

Copyright © Satoshi Niwa and Web-ProPhoto.com 2013. All rights reserved.