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2013年10月2日掲載

丹羽 諭   Satoshi Niwa ルポルタージュ
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 武蔵国カメラ風土記23 熊谷市在家遺跡   Zaike Ruins in Kumagaya City   New Work


平成3(1991)年、埼玉県旧岡部町(現在は深谷市)で奈良時代を中心とする榛沢郡役所「中宿古代倉庫群跡」が出土した。平成13(2001)年には深谷市東方から熊谷市別府にまたがる地域に同時代の「幡羅(はら)郡役所跡(幡羅遺跡)」が出土、現在も断続的に発掘調査中だ。幡羅の地名を今は「はたら」と読むが、古代は「はら」だったので深谷市は「はら遺跡」と呼ぶ。正倉、館、厨家などの官庁を中心に、集落と西別府廃寺や西別府祭祀遺跡を含む、中世には武士団の別府氏が館を構えた地域でもある。

飛鳥時代、大化の改新の後、文武天皇の時に藤原不比等らが大宝元(701)年大宝律令を制定、国府の下には「郡」を置いた。「郡家(ぐうけ)」「郡衙(ぐんが)」とも呼び、武蔵国には21の郡家があった。国府の国司は4年任期で中央から赴任、郡家は地域の有力豪族が徴税を担った。だが奈良時代の天平15(743)年聖武天皇の時、墾田永年私財法を施行して社寺貴族の荘園の発生と増大を招き、さらに平安時代の摂関政治が租税収入を激減させた。そして平安時代中頃には平将門の乱が起きた。その後も東北で前九年の役、後三年の役と続いて郡家は徐々に姿を消した。

平成25(2013)年9月14日、幡羅遺跡に近い熊谷市別府の「在家遺跡」で熊谷市立江南文化財センターによる現地説明会があった。区画溝で仕切った平安時代の複数の大型掘立柱建物、竪穴式住居、中世の井戸跡などが出土した。幡羅遺跡に関連する可能性が高いが、現時点では詳細は不明という。後日、江南文化財センターにお願いして復元された土器や刀子(とうす)などを撮影した。

注:別府氏は行田の忍城の成田氏一族で遺跡が残っている。武蔵国カメラ風土記17「のぼうの城」の忍城と成田氏を参照されたい。

使用カメラ: ニコンD800. レンズ: 24-85mmVR, 24-120mmf/4, マイクロ105mmf/2.8, 70-200mmf/4.
参考Webサイト

熊谷市立江南文化財センター
http://www.city.kumagaya.lg.jp/shisetsu/koukyo/bunka/konan_bunkazai.html

在家遺跡見学会の報告
http://kumagayasibunkazai.blog.so-net.ne.jp/2013-09-14

深谷市幡羅遺跡
http://www.city.fukaya.saitama.jp/syougaigakusyu/Web_hara_iseki/hara_index.html

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01-11 在家遺跡 (ざいけいせき, 熊谷市)



01 在家遺跡説明会 参加者は約200名に達した。市民の関心は高いが、残念ながら調査が終了すると宅地に変わる。熊谷市別府五丁目185番地の住宅分譲地内。

02 在家遺跡説明会

03 在家遺跡説明会

04 在家遺跡説明会

05 在家遺跡説明会

06 在家遺跡説明会

07 在家遺跡説明会

08 出土品の展示 出土した須恵器(すえき)、土師器(はじき)の展示。

09 須恵器

10 土師器

11 パネル説明

12-21 熊谷市立江南文化財センター
在家遺跡の出土品をあらためて撮影した。

12 復元した壷 カマドで使用したか下部がこげている。

13 復元した壷 同じく下部がこげている。

14 土師器

15 風字硯 2個 「ふうじけん」と読む。古代の硯で「几」の形をし、手前に縁がなく底部には脚が付いている。

16 紡錘車 「ぼうすいしゃ」機織で糸を紡ぐための道具。

17 刀子 「とうす」小刀のこと。

18 鎌 鎌の刃の部分。

19 刻書土器 田の文字が読み取れる。

20 修復作業室

21 修復作業 まるでパズルのような作業だ。

22-26 幡羅遺跡 (はらいせき, 深谷市)



22 幡羅遺跡発掘風景 平成25(2013)年4月の発掘風景。500メートル四方に及ぶ郡家を中心に7世紀中頃から11世紀初めまで続いた集落。正倉、館、曹司、道路などが確認されている。周囲には広範囲に遺跡が広がって熊谷市の西別府祭祀遺跡、西別府廃寺もその中にある。

23 幡羅遺跡発掘風景 平成25(2013)年4月の発掘風景。

24 はら君 竪穴建物跡からカマドの支脚に彫られた「人面線刻土製品」が出土した。カマドの神だといい、深谷市は「はら君」の愛称を付けた。手のこぶしほどの大きさで、展示のために台を作った。

25 はら君とキャラクター 右の二体はボランティアが作ったマスコットキャラクター。

26 現況は一面の畑 湯殿神社前方を撮影。地下に遺跡が眠っているが、まだ案内板はない。

27-29 西別府祭祀遺跡 (にしべっぷさいしいせき, 熊谷市)
別府沼公園わきの湯殿神社裏手の水源地(熊谷市西別府1575他)で馬形や櫛形の滑石製摸造品、墨書土器など多数が発見された。市の説明では郡家、西別府廃寺と共に祭祀遺跡が確認された例は全国でも数少ないという。遺跡は熊谷市指定史跡。滑石製摸造品は平成23(2011)年に県指定文化財の指定を受けた。西別府廃寺は祭祀遺跡わきの西別府1594他の雑木林で発掘されて瓦などが多数出土した。8世紀前半の建立と見られる。現在、跡地に特別養護老人ホームがある。

27 西別府祭祀遺跡

28 馬形滑石製摸造品 馬の形をしている。古墳時代のそれまでの宝器に代えて祭礼に使用した。形は様々だが、大きい物でも5-6センチ位であろうか。あまりの小型に驚いた。

29 櫛形滑石製摸造品 櫛の形に線刻がある。

30 中宿古代倉庫群跡 (なかじゅくこだいそうこぐんあと, 深谷市)



30 中宿古代倉庫群跡 正倉が2棟復元されている。深谷市岡3286-2。埼玉県指定史跡。

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