01 松山城遠景 |
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雲海の発生は冬の11~2月頃とか。
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02 城への山道 |
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本丸までふいご峠駐車場から登り斜面と石段を徒歩約20分かかる。
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03 足軽箱番所付近の石垣 |
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巨大な岩盤の上に石垣がある。
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04 三の平櫓東土塀 |
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一部は復元で国指定重要文化財。
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05 黒門付近 |
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06 石垣 |
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崖を覆い尽くす石垣。
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07 城の全景 |
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右奥が天守閣。
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08 本丸南御門入口 |
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09 ニ層二階の天守閣 |
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平成12~15年まで城跡全体の復元修理を実地、石垣下部の岩盤をも補強した。国指定重要文化財。
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10 天守室内 |
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11 天守室内から市内を見る |
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12 天守室内から見る二重櫓 |
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13 岩盤の上の二重櫓 |
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二重ニ階の櫓で、本丸と後曲輪を結ぶ位置にある。天和3年の水谷勝宗による改築の際に建てられたと思われる。
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14 腕木門の石垣と土塀 |
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門は復元した本丸の裏門。
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15 搦手門跡 |
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二重櫓下の斜面にある。
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16 武家屋敷街 |
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約250mの武家屋敷街で「石火矢町ふるさと村」とよぶ県指定の町並み。 2軒の屋敷を一般公開中。
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17 旧埴原家住宅の格子窓 |
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埴原家「はいばらけ」は120石から150石取りの近習役や番頭役を務めた家柄で4代藩主勝政公生母の実家。江戸後期の平屋建て。市指定重要文化財。
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18 旧埴原家住宅玄関の間 |
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槍や弓が架けられている。
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19 旧埴原家住宅座敷 |
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20 旧埴原家住宅土間の上り框 |
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21 旧折井家住宅長屋門 |
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折井家は200石取りの物頭役を勤めた家柄で天保年間の建築。市指定重要文化財。
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22 旧折井家住宅 |
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母屋は書院造り。
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23 旧折井家住宅台所 |
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24 旧折井家住宅 |
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竹製の濡れ縁。歩くと音がするので不審者の侵入を防ぐことが出来た。
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25 旧折井家住宅「鎧」 |
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26 商家 |
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27 商家の虫籠窓(むしこまど) |
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丹羽諭 Web-ProPhoto写真展「富田林の寺内町」14を参照。
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28 八十六銀行跡 |
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明治11(1878)年に板倉勝静らが設立した現在の中国銀行発祥の地。
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29 高梁キリスト教会堂 |
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明治22(1889)年築の岡山県最古の教会で県指定史跡。明治13年に新島襄が布教に訪れた。
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30 高梁キリスト教会堂 |
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31 教会内部 |
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平日の昼間に見学可能。
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32 頼久寺庭園 |
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臨済宗永源寺派寺院。江戸時代初期の大名で茶人、小堀遠州作の蓬莱式枯山水庭園がある。小堀家は関ヶ原合戦後に約17年間、松山城の国奉行として勤務した。国指定名勝に指定。
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33 頼久寺庭園 |
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34 頼久寺の上野・三村氏墓 |
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室町時代の城主、上野氏と戦国時代の三村氏の墓が並んでいる。上野氏は足利氏の傍流、三村氏は常陸国から出た鎌倉御家人で、いずれも地頭として土着した勢力だ。備中庄氏が上野氏を倒し、三村氏は備中荘氏を倒して松山城主になるが、後に三村氏は毛利氏に滅ぼされた。
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35 寺院の石垣 |
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市内は大きな石垣が目立ち、石垣の町と言ってもよい。とりわけ寺院の石垣はまるで城のようである。写真の寺院は日蓮宗の巨福寺。
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