01-03 箕輪城
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01 箕輪城遠景「搦手口付近」 |
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国指定史跡。高崎市箕郷町西明屋、東明屋。
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02 本丸跡 |
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03 堀跡 |
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04-08 長純寺
箕輪城主長野氏の菩提寺。寺伝によると、鷹留城主、長野信業が開いた曹洞宗の寺。高崎市箕郷町富岡852。
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04 長純寺門前の石仏 |
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05 長純寺本堂 |
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06 長純寺「長野業政の木像」 |
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業政は長野信業の子で業政(なりまさ)あるいは業正とも。関東管領山内上杉家の上杉憲政に仕え、6度に亘る甲州武田家の猛攻を防いだ名将として名高い。像は高さ約35センチメートル。本堂奥の開山堂に安置されている。今回、特にお願いをして撮影をさせて頂いた。高崎市指定文化財。
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07 檜扇(ひおうぎ)の家紋 |
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本堂入口のガラス戸に描かれた長野氏の家紋、長純寺の家紋でもある。
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08 業政の墓 |
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境内裏手の墓地にあり、供養塔との説も。
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09-12 箕郷町「旧下田邸」
長野氏の重臣、下田大膳正勝の子孫が代官として続いた家。庭園に青翆園の名がある。書院、及び庭園は県指定文化財。高崎市箕郷町西明屋702-2。
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09 旧下田邸の門 |
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10 旧下田邸書院 |
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武家屋敷としての格式を備えた書院造りの江戸時代の建物。室内に立ち入りは不可。
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11 旧下田邸土蔵 |
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12 旧下田邸土蔵のなまこ壁 |
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13 長年寺「長野氏の墓」 |
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長年寺は鷹留(たかとめ)城主(高崎市指定史跡)長野氏の菩提寺。初代鷹留城主、長野業尚(なりひさ)の他7名の五輪塔がある。鷹留城は箕輪城を築城する以前の長野氏の城で、箕輪城築城後は支城の役割を果たしたという。高崎市指定史跡。高崎市下室田町1451。
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14-15 来迎寺「長野氏累代の墓」
長野氏が滅亡して畑や濠などに埋もれていたのを、大正12年頃に長野一族の子孫の方々が発掘して安置したという。長野氏一族は続いているようで、墓苑入口に真新しい「長野氏宗家」の標柱があった。高崎市指定史跡。高崎市浜川町981。
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14 来迎寺「長野氏累代の墓」 |
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15 来迎寺「長野氏累代の墓」 |
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16-26高崎城
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16 乾櫓(いぬいやぐら) |
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かつては本丸の天守近くにあった櫓という。明治維新後、払い下げられて農家で納屋に使用されていたのを三の丸の土塁の上に移築復元した。群馬県内で現存する唯一の櫓。高崎市指定重要文化財。高崎市高松町。
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17 乾櫓(いぬいやぐら) |
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18 石垣 |
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19 石垣 |
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20 石垣 |
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21 東門 |
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明治維新後、乾櫓と同じく民間に払い下げられていたのを移築復元した。乾櫓のわきにある。高崎市指定重要文化財。
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22 東門 |
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23 歩兵第15連隊の碑 |
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明治維新後、城跡に歩兵第15連隊が置かれた。
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24 三の丸土塁 |
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高崎市指定史跡。
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25 三の丸土塁 |
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26 濠 |
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高崎市指定史跡。
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27 高崎市役所21階から見る烏川と碓氷川 |
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かつてこの合流地点に和田氏の城があり、これを取り込む形で高崎城が築城された。
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28-29 大信寺「徳川忠長の墓」
忠長は三代将軍、家光の弟。乱行を咎められて高崎城に幽閉され、切腹を命じられた悲劇の人物。JR高崎駅西口下車すぐの所にあり、拝観は事前に許可がいる。高崎市指定史跡。高崎市通町75。
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28 墓所正面 |
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29 葵の紋 |
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30-38 上豊岡の茶屋本陣(飯野家)
上豊岡は高崎宿と板鼻宿の間にあり、茶屋本陣は大名行列などで殿様の休息に使用された所で、宿泊はしない。作家、浅田次郎氏の、中山道の大名行列を描いた小説「一路」で、駕籠の中の殿様が、足がしびれて苦しむシーンがあるが、一日中駕籠に揺られるのは相当に辛かったであろう。飯野家は高崎藩御用を勤め、高崎城内に屋敷を持ち、材木、米、金融を扱った旧家。県指定史跡。高崎市上豊岡町133-12。
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30 茶屋本陣入口 |
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31 庭園から見た座敷 |
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32 上段の間 |
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33 畳廊下 |
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34 違棚の文様 |
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35 欄間 |
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36 組子障子 |
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37 組子障子 |
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38 襖絵 |
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銀箔を貼ってその上に竹を描いた襖絵。
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39 上豊岡(藤塚)の一里塚 |
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幕府は五街道の一里(約4キロ)ごとに塚を築き、群馬県で唯一残った塚。樹齢およそ400年を超えるというムクノキが茂る。碓氷川と並行する旧中山道の現在の国道18号線わきにある。県指定史跡。
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40 神流川古戦場跡の碑 |
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江戸から埼玉の本庄宿を過ぎ、神流川を渡ると新町宿、倉賀野宿、高崎宿に至る上野国に入る要衝の地である。戦国時代、織田信長が本能寺で亡くなり、天正10(1582)年6月18、19日の両日、厩橋(前橋)城にいた滝川一益の上州の兵1万6千と、小田原北条氏5万の兵が神流川を挟んで激突、双方に多くの死者を出し、北条氏が勝利した。戦国時代の関東で歴史的な合戦だった。高崎市新町の国道17号線の神流川橋の群馬側。
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